黙示録を時系列に並べる
黙示録の理解が難しいのは
これから起こるすべての事柄が、時系列に並べられていないからです。
また、マタイの福音書24,25章、
テサロニケ人への手紙、
ダニエル書、イザヤ書、ヨエル書などの預言書
も併せて理解しなければ、全体像は明らかにはなりません。
導きに任せて、時系列に従い、
ざっくりとした内容をお伝えしようと思います。
まだ、瞑想の途中でありますので、変更点が出るかもしれませんが、その際はご容赦ください。
※聖書解釈は多岐にわたっていますので、必ずしもこの限りではありません。
ダニエルの七十週の預言
このダニエルの七十週に関しては、
いろいろなサイトや動画などで説明されているのでそちらにお任せします。
簡単に説明すると
ダニエル書で、
ダニエル9:24前半
「あなたの民とあなたの聖なる都について、
七十週が定められている。・・・」
とあります。
つまり、イスラエルの民とエルサレム(神殿)
について
この時代では七十週(490年)と預言されています。
都、と言っていますが、内容は明らかに神殿、宮のことを言っています。
キリストの肉体も神の宮=神殿であるので、
カウントされています。
ソロモン神殿(第一神殿)がバビロン捕囚のときに破壊され、イスラエルは捕囚となりました。
捕囚時代を経て、ペルシアのクロス王が神殿の再建を許可を出し、また、ダレイオス一世、アルタクセルクセス王の命により、神殿が再建されます(第二神殿)。
だいぶ時が経ってからイエスキリストが来られ、十字架にかけられました。
その後A.D.70年に
ローマ帝国によって第二神殿が破壊され、
イスラエルは世界離散することとなります
(ディアスポラ)。
起算点をアルタクセルクセス王の命令のとき、
とすると、計算がピタリと合うようです。
上記の一連の流れで69週(483年)過ぎているというのです。
残されたのはあと一週(7年)です。
最後の七年はいつ、始まるのか
ダニエル9:27前半
「彼(君主、反キリスト)は一週の間、
多くの者と堅い契約を結び、
半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。・・」
とあります。
最後の一週の七年(くらい)の前半は、
イスラエルがいけにえとささげ物が
できる状態にあるということ、です。
つまり、エルサレム神殿が建っている、
またはささげ物ができる状態にあるということです。
しかし、イスラエルが神殿建設の準備を着々と進めていることから考えると、
これは神殿が建てられていると考えるほうが自然です。
現在、エルサレム神殿がかつて建てられていたと言われる神殿の丘には、
イスラム教のモスク(岩のドーム)があります。
(ここにはアブラハムがイサクを捧げた祭壇となった聖なる岩があるそうです。)
ですので、ここに神殿を建てるとなると
空爆によって破壊するか、あるいは別の場所に建てるかしかありません。
となりにはアルアクサ•モスクが建っています。
実は、ユダヤ人たちも本当はどこに神殿が建てられていたのか正確なことがわからなかったようです。
実際に神殿の丘に入った人たちの体験談によると、
エルサレム神殿の至聖所は、岩のドームの場所ではなく、
「霊のドーム」と言われる小さい建物の場所かもしれないという人もいます。
なぜなら、霊のドームからまっすぐの方向に
東の門があり
そこから、神の臨在が至聖所向かってにまっすぐ入って来られると言われているからです。
(エゼキエル43:1,2)
真偽のほどはわかりませんが
いずれにせよ、イスラエルはこのコロナ禍をも利用して、エルサレムで発掘調査を行ってきました。
神殿の建材の石も切っているそうで、
あとは組み立てるだけ、というほどに神殿建設の準備が整っているのです。
ものの2,3か月で完成する、という話もあります。
ここ最近イスラエルは
神殿の丘での不穏な動きを見せているのです。
そんなわけで、最後の七年の始まりは、
「神殿の丘でユダヤ人の(集団)礼拝が行われるとき、もしくは神殿の丘で燔祭が行われるとき」
と言えるのではないでしょうか。
他、最後の七年の始まりのしるしとしては
・反キリストがイスラエルと七年の契約を結ぶこと
(これはイスラエルから反キリストに与する者が現れる、ということらしい)
•エゼキエル戦争(エゼキエル書38、39章)
・エクレシアが勝利すること
・キリストが「御使い」として秘密の来臨を始める
が考えられます。
七年の前半は第六の封印まで
最後の七年の前半がどこからどこまでで、
七年の後半(いわゆる大患難期)が
どこからであるのか ということに関して、
明確な回答をしているものはありませんが、
このブログでは、
第六の封印までを七年の前半とします。
ヨエル書2:31では
「主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる」
とあり、これは黙示録6章12節と重なります。
黙示録6:12
「また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。
太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。」
そしてこれはまもなく大患難期の後半が始まる、という警告であるとともに、
教会の携え上げの始まりを意味しています。
なぜなら・・・
根拠1:半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる(ダニエル9:27)
とありますので、最後の七年の前半はユダヤ人が宮で平和にささげ物をしています。
つまり、神のさばきが行なわれていないことがわかります。
神のさばきがおこなわれているのは
第一のラッパからです。
根拠2:神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、御使いは、地にも海にも木にも害を加えてはいけないから(黙示録7:3)
神のさばきが始まるのは第一のラッパからなのです。
第六の封印までは、神のさばきは限定的なものです。
反キリストとそれを拝む民へのさばきは
三年半の後半から始まるのです。
第一のラッパ(第七の封印)は8章に書かれています。
根拠3:太陽は闇に、月は血に変わる
これは第六の封印のしるしです。
これを聖書のたとえで読むと
太陽=キリスト(男)、月=教会(女)なので
神の力が及ばなくなり(福音書から、昼=キリストがいる、夜=キリストがいない)
悪が最大限に増幅され、
教会が贖われる、と読むことができます。
つまり、勝利者が天に上げられ始める、ということになります。
根拠4:「男の子」は大患難前に上げられる
黙示録12:5,6
「女は男の子を産んだ。
この子は、鉄の杖をもってすべての国々の民を
牧することになっていた。
その子は神のみもとに、その御座に引き上げられた。
女は荒野に逃れた。そこには、千二百六十日の間、
人々が彼女を養うようにと、神によって備えられた場所があった。
男の子がイエス・キリストである、とする解説が多いのですが、
そうすると後の話が全く理解できなくなってしまいます。
「男の子」は、14章にある144000人、
教会(エクレシア)の初穂の勝利者たちです。
女は七年の後半の三年半の間、
荒野で神に備えられた場所に逃れます。
ですので、男の子の携え上げは大患難前(七年の前半の三年半)に起こる、ということが言えます。
もっと言えば、以下の聖句から
ヨハネの黙示録 7:9
「その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。」
第六の封印の後にこの描写があることからも
第七の封印の前に
勝利者が天に上げられ始めることが考えられます。
第七の封印、すなわち第一のラッパからが七年の後半になる
黙示録8章3節では、
ラッパのさばきの前に別の御使いにたくさんの香が与えられた、とあります。
別の御使いとはキリストのことです。
(アブラハムの家にも御使いとしてキリストは訪れています)
なぜなら、香はわたしたちの祈りを指し、
それを神の御前に持っていくのは、
私たちの祈りをとりなしてくださる、キリスト以外におられないからです。
そうして私たちの祈りが膨れ上がって
神のもとへ行き、神の怒りが下り始め、
ラッパのさばきが始まります。
そのころ、サタンがミカエルや御使いたちとの
天での戦いで負け、
(黙示録12:9、12)
そうしてサタンは自分の時が短いことを知り、
怒って反キリストとともに地上で暴虐を働きます。
七つの封印、七つのラッパ、七つの鉢の関係性
七つの封印はキリストが解きます。
キリストしか解くことが出来る者がいませんでした。(黙示録5:9、10)
第一~第六の封印がその出来事、内容です。
七つのラッパは第七の封印の内容です。
七つのラッパは世界的な神のさばきです。
第一~第六のラッパはその出来事、内容です。
七つの鉢は第七のラッパの内容です。
神の怒りが頂点に達し、
最後の厳しいさばきが起こります。
これは一日で成就します。
そして千年王国、キリストの王国が建てられるのです。
主の来臨(パルーシア)は男の子の携え上げ~公式来臨までずっとある
来臨はギリシャ語でパルーシアと言います。
この言葉は「臨在」、という意味もあります。
ですから、その地点だけを表すわけではなく、
一定の期間を表すことができます。
では、どこからキリストの来臨があるかといえば、
キリストが「御使い」として訪れているときからです。
これは非公式の来臨となります。
その流れを追ってみましょう。
黙示録7章2節 生ける神の印を持って上って来る
「もう一人の御使い」はキリストです。
このときは、十四万四千人のユダヤ人が神の印を押されるところです。
最後の七年の前半に起こる出来事です。
この十四万四千人のユダヤ人によって
世界中で大宣教が行なわれます。
黙示録10章1節 雲に包まれて天から下って来る(七年の後半)
「もう一人の御使い」とありますが、
その手にある小さな巻物は開かれているのです。
開けるのはキリストしかいません。
(黙示録5:5)
このときはすでに神のさばきが始まっていて、
第六のラッパの後ですので、
最後の七年の後半に起こる出来事です。
主により、最後のラッパが吹かれる、
という警告です。
(黙示録10:6.7)
黙示録14章6節 永遠の福音を携えている
二人の証人が宣教活動(1260日=三年半)
を終えた後(黙示録11:3)
これも七年の後半ですね。第六のラッパの後、
第七のラッパの前です。
最後の 「永遠の福音」の宣べ伝えを
主がなさっています。
これで、多くの人が救われます。
また信者が勝利を得ることができなければ、
天の御国の扉は閉められてしまいます。
(マタイ25:30など)
黙示録14章14節 人の子のような方が雲の上に座っておられる
これは収穫のときの主のお姿です。
いわゆる「教会の携挙」と一般的に言われているものです。
テサロニケ人への手紙 第一 4:16、17
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
大患難を通して、大多数の信者の命が
成熟し、穀物は実るのです。(黙示録14:15)
また、信仰が本物か偽物かははここで明らかにされ、
さばきを受けます。
マタイ13:30「だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。
収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、
麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。」
その究極的形として、世界の宗教界では
聖書の教えに真っ向から対立するような動きを見せているのです。
17章の宗教的「淫婦」も反キリストによって滅ぼされます。(17:16)
注意が必要なのは
ここで上げられる信者たちは「空中」へ
なのです。
「天」に上げられるのではないということです。
その後
キリストによるすべての聖徒へのさばきがあり、
報償か刑罰かが決まります。
(IIコリント5:10)
※キリストの命、聖霊を持つ者は、救いを失うことはありません。
※携挙については、以下のブログをご参照ください。
黙示録18章1節 大きな権威を持って天から下って来る≪公式の来臨≫
地上再臨がますます近くなっている描写です。
このとき、全世界の人々がキリストが天の雲に乗って来られるのを目撃します。
黙示録1:7「見よ、その方は「雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。
地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。」
このときに、主の栄光、大地震によって
政治的、商業的システムである大バビロンが滅ぼされます。
黙示録19章11節 ≪地上再臨≫ 白い馬に乗って戦われる
このとき、天の軍勢のすべて(御使い、新約時代の勝利者たち、旧約時代の聖徒たち)
も主と共にキリスト軍として戦います。
御使いは万の数万倍、千の数千倍いますし、
世界中からの勝利者たちも数えきれないほどいます。
とんでもない大軍が、主とともにハルマゲドンで戦うのです。
とはいえ、キリストがおひとりだけで勝ちます。
ゼカリヤ書 14:5
「•••私の神、主が来られる。
すべての聖なる者たちも、主とともに来る。」
ユダの手紙 1:14
「アダムから七代目のエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は何万もの聖徒を引き連れて来られる。」
黙示録19:11~14
「また私は、天が開かれているのを見た。
すると見よ。白い馬がいた。
それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、
義をもってさばき、戦いをされる。
その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、
ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。
その方は血に染まった衣をまとい、
その名は「神のことば」と呼ばれていた。
天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、
白い馬に乗って彼に従っていた。」
キリストは「神のことば」です。
キリストはすべての創造主です。(コロサイ1:16)
反キリストは死と復活のわざをする
反キリストとは、大患難期半ばに正体を現す、
世界統一政府の独裁者のことです。
彼は大バビロン(影の政府)のトップであり、
自分自身をメシアである、と思って疑わない人物です。
反キリストは一度滅ぼされ、復活します。
まるでキリストの死と復活のように。
実は反キリストの最期は生きたまま、火の池に投げ入れられることが 黙示録に明記されているのです。
(黙示録19:20)
ではなぜ一度滅びるのでしょうか?
●テサロニケ人への手紙Ⅱ2:8
「その時になると、不法の者が現れますが、
主イエスは彼を御口の息をもって殺し、
来臨の輝きをもって滅ぼされます」
とあります。
間違いなく、反キリストはイエス•キリストによって
一旦殺されるのです。
(黙示録10:1,3)
●イザヤ書 11:4
正義をもって弱い者をさばき、
公正をもって地の貧しい者のために判決を下す。
口のむちで地を打ち、
唇の息で悪しき者を殺す。
しかし、獣(反キリスト)は底知れぬところから
上って来て、二人の証人を殺します。
(黙示録11:7)
これは二人の証人が1260日
預言をした後の七年の後半の出来事です。
これが反キリストの「復活」のわざです。
主の真似事がお好きなのが、反キリストです。
そして、姿を現すときも
主のように白い馬に乗っていました。(黙示録6:2)
携え上げは二種類ある?
上記の通り大きく分けると
携え上げは二種類あります。
①勝利者たちの携え上げ
(男の子の携え上げ~収穫前まで随時)
(黙示録12:5)と
②収穫(この言葉はあまり好きではないですが、
一般的に言われる「教会の携挙」)です。
注意が必要なのは、この
「男の子」は初穂の勝利者であり、
14章のシオンの山に立つ14万4000人です。
この「男の子」の携え上げは
最後の七年の前半に起こる(反キリストが本性を現す前)ということです。
(大患難前の携え上げ)
詳細は改めてお伝えします。
なぜなら、男の子はサタンと天で戦うために
召集されるからです。
そしていよいよイスラエルがキリストを信じる・・・
さて、イスラエルは神によって備えられた「ボツラ」というところがあります。
これは、ハルマゲドンで反キリストの軍勢が集められるメギドの丘より距離のある場所です。
そこで、イスラエルの残りの者は反キリストの圧政から逃れ、隠れて過ごします。
黙示録1:7
「見よ、その方は「雲とともに来られる。
すべての目が彼を見る。
彼を突き刺した者たちさえも。
地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。」
この「彼を突き刺した者たち」「地のすべての部族」はユダヤ人を指しています。
なぜなら全世界の人々を指すときはすべての民族、
言語、国民とあるからです。
そこで、ユダヤ人たち(残りの者)が
恵みと嘆願の霊を与えられて、
キリストが神の子であることを悟るのです。
(ゼカリヤ書12:10)
そうして悔い改めたイスラエルの残りの者たちの呼び求めがなければ、キリストは再臨しません。
ですから、サタンはイスラエルを滅ぼしたいのです。
地上に主が降りられるのはどこか
ボツラで主に向かって叫ぶレムナント(残りの者)
のために、主はボツラに降り立ちます。
ボツラはエドム(=現在のヨルダン)にあります。
なぜ、ボツラという場所が出て来るかと言えば
ミカ書2:12
「ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。
わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。
こうして、人々のざわめきが起こる。」
とあるからです。
この「囲いの中の羊」というのが
へブル語で’ボツラの羊’なのです。
そしてここは三年半レムナントが住むにはちょうどよい空間、要塞となっています。
そしてその間、彼らはイザヤ書53書やダニエル書、
新約聖書を読むでしょう。
ホセア書 6:3
私たちは知ろう。
主を知ることを切に追い求めよう。
主は暁のように確かに現れ、
大雨のように私たちのところに来られる。
地を潤す、後の雨のように。
イザヤ書63:1前半
「エドムから来るこの方はだれだろう。ボツラから深紅の衣を着て来る方は。
その装いには威光があり、大いなる力をもって進んで来る」
この描写は再臨のキリストがさばきのために戦いに来られているお姿です。
その後、反キリスト軍を迎え撃ちにするため
オリーブ山に立ちます(ゼカリヤ書14:4)
ここは、かつて弟子たちに終わりのときについて起こることを
主イエスが語られた山なのです。(マタイ24:3)