こんにちは。

 

今日は、母の哀しみを感じて涙した話しです。

 

2022年、母はコロナワクチンを打って体調が悪くなり、病院に入院しました。

私は母から家の片付けを頼まれ、整理をしていました。

 

昭和1桁生まれの母です。

捨てるのがもったいないからと、家にはたくさんの物があり、片付けは時間がかかりました。

 

 

そんな片付けている最中に、

弟の写真がたくさん出てきました。

幼少の頃から、社会人になってまで。

 

弟の写真は、ベット横の棚に、また仏壇の引き出しに、それは大切に置いてありました。

 

その写真を見たときに、

「会いたいよ〜(息子に)」

と言っていた母の言葉を思い出し、

母の辛い思いを感じて、

嗚咽が止まらなくなりました。

 

弟以外の他の写真はたくさん、

旅行などのアルバムは何冊も何冊もあります。

 

孫からの手紙も大切に保管されています。

 

でもこの弟の写真に、釘付けされました。

 

母はどんな気持ちで写真を見ていたのだろうか。

 

そう思うと、止めどもなく涙がこぼれ落ちて、

しゃくりあげて、声をあげて泣き崩れました。

 

弟は平成9年に亡くなっていますから、

25年の月日がたっていました。

 

ここにきて、こんなに泣けてしまう自分に、

気持ちは落ちに落ちました。

 

こんなにまだ涙がたまっていたのだろうか?

 

5年もの間、セラピーで自分を癒してきたのに、

悲しみがまだあったのだろうか?

 

「自分の癒しはできていない」

 

恥ずかしいことのように、自分をジャッジしていました。

 

 

 

今になって思うには、

私は母の辛さから避けていたのです。

 

子供を自死で亡くした辛さは、

無情にもわからないのです。

 

想像はできても、それは想像のはんちゅうです。

 

親子という身近な存在なので、

辛さを察するが故に、、

 

自分の気持ちを決壊させたくないために、

保身をしてしまった。

 

冷たい娘だったのではないか・・

 

母が「会いたいよ〜」と言ったときに、

どれほど母の気持ちをくんでいたのだろうか?

 

その気持ちを自分で責めていたのです。

 

年数がたっても、涙は出るのです

 

涙の理由は色々でも、

 

25年たっても、悲しいものは悲しい。

 

5年や10年なら、なおさら。

 

悲しいものは悲しい。

 

これでいいのだ。byバカボンパパ

 

 

 

泣けることに、いいも悪いもない

 

 

泣けることは、弱いことでもなくて、

 

 泣ける準備ができたので、

 

泣ける理由があるから、

 

ただ泣けるだけ。

 

いいも悪いもないのです。

 

 「いつまでもクヨクヨしてはいけない」と、

自分で自分を責めて。

 

おかしな話しですね。

 

私の中に、母の気持ちを察して、

愛おしく思う気持ちがあった

そこに気がついたので、まるです。

 

母がコロナワクチンを打って体調を崩し、

治療に行った先で出された安定剤に依存して。

精神病院に入院。退院のめども立たない。

 

自分の無力さに思い知り、

さらに辛さを増幅したとは思います。