今回は娘の不登校についてです。

 

次女が小学校卒業の目前に離婚成立、その8日後、夫が自死してしまいました。

経済的に楽だからと、安易に親と同居しました。

 

その時どうして引っ越しするの?と聞かれました。

私も迷いもありましたが、もう転校や引っ越しの手続きをしたし、

 

「これからお金がかかるから、仕方がない」そう言い聞かせました。

 

本当は

母親に負担をかけたくないから、自分の気持ちを我慢して

 

「学校を変わりたくない。友達と離れたくない」

 

そんな言葉を飲み込んでいたのでしょう。

 

 

 

父親の自死、転校、

慣れない祖父母との生活。

まだ小学校卒業したばかりの子には、

何重もの負担でした。

 

 

 



新しい中学校へ、気持ち新たに登校しました。

スポーツ系クラブにも入って、友人もできました。

 

そして

夫が亡くなって、1ヶ月。

夫の遺品を片付けに住んでいた家に行きました。(夫とは別居していました)

父親が亡くなった夢のような出来事が、時間が経って現実を帯びてきたのですね。

 

次女は

「どうして亡くなったの?」と、大声で泣いて止まらないのです。

いくら説明しても、辛い気持ちは治るはずもありません。

 

私は娘の涙が辛くて、ついに

「もう泣かないで!!」と言ってしまったのです。

 

それからは泣かないけれど、でも心を閉ざしていきました。

 

涙は我慢してはいけませんね。

 

その頃から学校を休みがちになりました。

 

夏休み始まって、気持ち新たに行くのですが

近所の友達が、夫の死因を言いふらして

また行けなくなりました。

 

思春期の難しい時期とも重なって

笑顔でいることが多かった明るかった次女が、

人が変わったように、目を合わさないし話さなくなりました。

 

私もどうしていいのか途方に暮れてしまいました。

 

長女も中学で学校を休みがちになった時に

心の教室を進められて、私が通った事がありました。

 

次女の時もまず私が行って、面談しました。

 

先生は

「学校は行かなくてもいいのよ。みんな同じ制服で、同じ事をして。

 まるで軍隊みたい」

 

このように、

「学校は行かなくてもいい」とおっしゃるのですが

そうは言っても、娘は学校に行きたくない訳ではないのです。

 

行きたいのに行けない。

「できたら行かせあげたいのに」私の思いと葛藤しました。

 

そのうち、養護の先生が自宅を訪問して下さって、

先生とは打ち解けていきました。

 

その頃から約15年たった今でも、交流を持って下さっているので、

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

元の学校に戻りたい娘の気持ちを聞いて、

実家から前の中学校の学区へ引っ越しました。

 

 

前の友人とは馴染めませんでしたが

修学旅行には行きました。

良く頑張っていったと思います。

 

高校は少し郊外ですが、行ってみたいと言うので決めました。

スポーツ系もクラブに入り、頑張って通うのですが、やはりまた途中で行けなくなり。

結局、通信の高校へ編入して、そこで卒業しました。

 

卒業後、何も希望が持てずに、どこにも行かずに家で過ごしていました。

 

 

ずっと家で1人で過ごしているので、心配でしたが、

先住犬に、新しく子犬を飼ったので

犬の成長の楽しみが娘の心を癒してくれました。

 




私もなるべく家が心地いいものであるように

私なりに配慮していたつもりでした。

 

でもやはり、明るかった娘が変わってしまって、不登校状態になってしまった。

 

離婚しなければ、娘は変わらなかったかもしれない。

ずっと自分を責めていました。

 

 

続きます

 

 

 

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