こんにちは。

北国も暖かくなり、庭の草がぐんぐん伸びていきます。

去年植えたアスパラが、土の中からニョキ。

待っていましたよ〜!

 

 



 

去年の夏に実家に引っ越してきました。

父はすでに亡くなっていて、母はその頃病院に入院中でした。

両親不在のガランとした家は寂しいものでした。

そして寂しい家には、昭和一桁の両親ですから、物がたくさんあり。だいぶ片付けましたが、まだまだあります。


特に写真は大量にあります。

厳選して処分していますが、手が止まってしまいますね。

母の寝室にも弟の写真がまとめてありました。

 

 

今日は仏壇の引き出しを開けてみました。


弟が亡くなって、新調した仏壇です。

カッコつけやだったからと、大きめです。

引き出しの底の方を見たら

弟が生前働いていた職場でのネームプレートが出てきたんです。

 

それを見た途端に

涙がどーーーと流れました。

 

私の哀しみと言うより

母がどれだけ辛かったのだろうと

母の哀しみを想う涙かなと思います。

 

お母さんは辛かったんだろうな


と思うと、また胸がキュッとなって。

またこのブログを書きながら涙が流れます。

 

弟が自死で亡くなった当時は

私の夫のアルコール依存問題の渦中の時でした。

 

十分に弟の哀しみに暮れることができなくて

まして母の想いまでは、、


辛そうで辛そうで、

なかなか哀しみを共有できませんでした。

 

今になって出てきています。

 

 

涙って、

なんで流れるんでしょうね。


きっと流れたいんじゃないのかな。

出たいんじゃないのかな。

 

気持ちが哀しみに触れると辛くなるけれど

 

でもモンモンとして泣けない時も辛い物です。

 

仏壇から出てきた弟のネームプレートは

明日の燃えないゴミの日にお塩と一緒に処分します。

きっともういいよと弟が教えてくれているようです。

そう思うとまた涙が出ます。

 

何でしょうね?教えてくれてありがとうと嬉しさを感じての涙かな?

もう涙の想いなど、分析しなくてもいいですが笑

 

泣きたかった涙

流れたかった涙が出てくれて

身体と心が

「わかってくれてありがとう」と安心しています。

 

泣くことでまた少し

私の心も柔らかくなったような、

そんな氣もしますね。