秩父今宮神社(八大龍王宮)で 2024辰年を想う  506 | 70代からのウィズブログ! 

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何を書くかは、その日見つけた好奇心&やる気次第。

Slowになった体力・知力・想像力を少しでも長くキープできればな~、が思いです。

はてさて、どこまで・・・どこまで・・・ 続けられるやら。

   

 

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関東で 秩父エリアの神社といえば

 

 

「三峯神社・秩父神社・宝登山神社」の 三社がメジャー

 

 

いわゆる 『秩父三社』といわれる 有名な神社だ

 

ふんわり風船星

 

また 歴史好きには

 

 

和同開珎の「聖神社」 & 秩父事件の「椋神社」も興味深い

 

 

 

 

一方 今回の[秩父今宮神社]だが

 

 

今秋の 秩父神社参詣に合わせて

 

 

近くの参詣社寺を探索中 ようやく辿り着いた神社

 

 

なんとも 地元の方々には申し訳ない 参詣動機となった

 

 

筆者シニアゆえ ご理解ご勘弁を願いたく

 

 

グリーンハート

 

 

ところが である  参詣後知るところとなった

 

 

[秩父今宮神社]の龍王宮たる所以

 

 

それは

 

 

秩父神社の例大祭(12/3秩父夜祭)が

 

 

当社の4/4水分祭(みくまりさい)・水乞い神事から始まるという

 

 

重要な立場にある 格式高い神社であったというところにある

 

 

 

 

 

・・・( ^ω^)・・・・・・・・( ^ω^)・・・

 

 

さて 秩父神社編[つなぎの龍]でも 話題に出た「四神」

 

 

龍は その四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)のひとつで

 

 

水中に棲むとされ 鳴き声で 嵐や雷雲を呼び

 

 

 竜巻となって昇天し 飛翔するという…

 

 

ふんわり風船ハート

 

 

秩父今宮神社の メインの御祭神は

 

 

「水を司る神」の 八大龍王神

 

八大龍王?・・・

 

 

 

 

参拝のしおりには 八大龍王の解説記事はあった が

 

 

身勝手な筆者シニアは 龍王の名から なんとなく

 

 

龍神のトップ(キング)が 龍王だろう と理解を簡素化

 

 

すると 理解する心が すっきりしてきた

 

コーヒー

 

 

参詣後記を ここで 書き込んでしまうとしたら

 

歴史的にも&現在でも [龍王≒龍神]なくして

 

 

秩父今宮神社は 語れないと まさに そんな[龍王宮]であった

 

 

( ^ω^)・・・・・・( ^ω^)・・・・・・

 

 

 

 

 

真顔

 

ダウン・・・ここからは 当社HPの由緒ベースで 話を進めていきたい・・・ダウン

 

 

 

神社正面の注連柱 ~(右)今宮神社 ・ (左)八大龍王宮

 

りんご

 

 

秩父今宮神社は日本有数の古社である。

 

信州諏訪の勢力が西暦100年前後に秩父に移住、

 

この地に湧き出づる武甲山からの霊泉に「水神」を祀ったのが始原といわれるが、

 

 

龍上観音(龍神池の畔にある樹洞にて奉斎している) & 龍神池

 

 

 

 

有史時代に入ると、この霊泉に国生みの神である「伊邪那岐・伊邪那美」の

 

二神が祀られるようになった。

 

 

ご周知の通り ~龍は水を司る神 手水舎の水は 当社も龍の口から

 

 

 

天武天皇元年(672)の壬申の乱の前後に、秩父の勢力は修験道の開祖「役行者」の

 

導きで天武帝に協力したと伝えられている。それを境に秩父は発展を遂げる。

 

(こちらは 工事中ゆえ参拝できず) しおりフォトより

 

役行者は秩父に修行に訪れ、霊泉の傍に観音菩薩の守護神である「八大龍王」を

 

合祀し、のちにこれが「宮中八神」と習合され、「八大龍王宮」または「八大宮」

 

と呼ばれ、秩父修験の中核となった。

 

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※ 『秩父修験発祥の地』を ヘッドワードとした今宮神社のしおり(表紙)

 

・・・・・御朱印を 社務所でいただいた際 このヘッドワードに違和感を抱いた筆者シニア

 

「当社が 何故に 秩父修験発祥の地なのか?」と神職に尋ねて ご説明をいただいたが

 

まさしく当社のこの地が 昔 神仏習合の[今宮坊]であった・・・

 

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龍神木

 

境内のほぼ中央に大きく・広くそびえるケヤキ

樹周:約9m 樹齢:約1000年  埼玉県&秩父市天然記念物

 

 

 

 

 

 

平安時代初期天長2年(825)には空海が来遊して橋立寺の洞窟内部に道場を開き、

 

37日間の護摩秘呪を行う。橋立寺はのちの今宮坊ゆかりの一寺。

 

 

社殿へは 茅の輪をくぐり 朱の鳥居をくぐり & 参拝へと向かう

 

 

お願い 社殿(拝殿) 平成31年(2019)2月竣工 お願い

 

 

永観2年(984)「大宮山満光寺」、長暦2年(1038)「長岳山正覚院金剛寺」が

 

開山され、さらに平安後期には熊野権現が勧請され、宮中八神と大日如来の

 

習合した「八大権現社」が建立された。

 

 

社殿前の 狛犬像

社殿側から見た 阿像(身構え)のバックスタイル

 

 

京都の今宮神社から須佐之男大神をこの地に勧請したのは天文4年(1535)。

 

疫病が猛威をふるったため、病魔退散を願って勧請された。

 

今宮神社のサブ出入口・・・札所14番・今宮坊(観音堂)への参道130m

 

永禄12年(1569)本山派修験聖護院直末二十六寺の一寺となり、

 

諸国先達二十九寺の一寺ともなる。その頃は広大な敷地(20万坪)に

 

修験道場や神社、仏寺観音堂などが混在していた。

 

 

江戸時代には「今宮八大宮」「八大権現社」の神社と「長岳山正覚院金剛寺」

 

「大宮山満光寺」「今宮観音堂(札所十四番)」「橋立観音堂(札所二十八番)」

 

を配下に治め、総称「今宮坊」とされ、神仏習合の一大霊場となった。

 

今宮観音堂 (現在 札所十四番今宮坊)

 

 

明治元年(1868)、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、「今宮坊」も解体を

 

余儀なくされ、今宮神社(八大宮)と今宮観音堂(現・札所十四番)、橋立観音堂

 

(現・札所二十八番)に分離され、独立して管理されるようになったが、

 

御神体、御朱印、社宝、古文書等は当社に継承されて現在に至っている。

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

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* 「秩父修験発祥の地」である・・・秩父今宮神社(元今宮坊)

 

 

* 「秩父夜祭にリンクする水乞い神事」の地・・・流石に龍王宮

 

 

 

Goodな 参詣ができましたね

 

 

 

 

 

 

さてと

 

 

そろり そろりと 「甲辰(きのえたつ)」

 

 

2024辰年が 近づいてきていますよね

 

 

恐竜くん

 

 

2024新年の 初詣神社として [秩父今宮神社]は

 

 

いかがでしょうか・・・

 

 

 

( ^ω^) ## FIN ## ( ^ω^)