今回のBWフォトは 当院パンフからの掲載(以下同様)
飯能戦争ゆかりの寺を きっかけに 多くの曹洞宗寺院を訪ね
ひとまず 辿り着いたのが 「能仁寺」 そしてそこから
曹洞宗の関三刹であった 「龍穏寺」を ご紹介してきた
さて 今回訪ねた「浄空禅院」 ここも たまたま曹洞宗寺院であった
浄空禅院 山門
参禅道場として 坐禅堂など 多くの建物諸堂を 有する
浄空禅院 坐禅堂
`坐禅堂につながる 左手に 鐘楼が
浄空禅院 鐘楼
いわゆる 伽藍配置が見られる 禅宗寺院 ・・・(ここに こんな寺院があったとは)
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それでは 伽藍を 鑑賞すべく 「浄空禅院」を 参詣してみよう
山 門 (薬医門)
山門の扁額 [通霄閣]=つうしょうかく≒景色が良い
[霄]=音読み「ショウ」 訓読み「そら」・・・みぞれ。そら。大空。天空。
山門をくぐると 松並木の 境内参道が続く
山門内から見た 敷石&松のコラボがGOOD!
加えるに ここの松並木 短いながら 見事に剪定配置された 庭園松の風情かな
更に本堂への松参道が 敷石も瓦に変化 最大の参詣ポイントかも・・・
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奥正面には『本堂』 そして 左手に『坐禅堂』 また 右手に『庫裏』が
それらを回廊で結ぶ・・・ 狭いながらゆえ 省略型の曹洞宗伽藍配置 なんだと感じた
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(市教育委員会の境内ガイド板より抜粋)
伽藍は、本堂・庫裡・坐禅堂・山門・鐘楼・裏門(庫裡門)から構成され、本堂を中心に
庫裡と坐禅堂がコの字型につながって前庭を囲み、南に山門を構えるなど
景観としての優美さが感じられる構成になっています。建物は・・・・・(中略)
禅堂(左) 本堂(中央) 庫裡(右)
・・・・・本堂が(諸堂大破につき)、宝暦3年(1753)に再建されたことが分かります。
また庫裡・坐禅堂の建築年代を示す史料はありませんが、本堂と同時期に再建された
と考えられています。 「本堂」・「庫裡」・「坐禅堂」と本堂裏手にある「菅沼氏一族の墓」が
市指定文化財に指定されています。
浄空禅院の全景
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● 浄空禅院(ジョウクウゼンイン) 埼玉県東松山市上唐子679
[宗 派] 曹洞宗
[経営主体] 宗教法人 浄空院
● 浄空院の由来 ・・・当院パンフレットより
当院は埼玉県の中部に位し、眼前に荒川の上流・都幾川の清流に臨み、武蔵嵐山を控え
遙かに秩父の連山を仰ぐ景勝の地に在る。
都幾川(くらかけ清流の郷-鞍掛橋より)2021/8撮影
約一千年前・応和2年(962)、天台宗の慈恵大師(51歳の時)東国下向の折、聖武天皇
の御木像(御自作)と観音像(村上天皇御自作)を奉持して、「法養寺」を開いた。
本 堂 (奥正面)・・・銅板葺き
元亀(1570〜1573)-天正(1573〜1592)の頃、禅宗に改宗。
本堂の 山号額 ★参拝口がアルミサッシ模様だったので・・・残念!
文禄2年(1593)、徳川家康譜代の旗本・菅沼越前守定吉が開基となって
「太高山本通寺浄空禅院」と改め、現在の諸堂の建立を見た。
本堂内の扁額 ※ [関(かん)]の文字 ≒関所のような意味合い? 難解だ!
茅葺時代の坐禅堂
坐禅堂 (本堂の左手)・・・銅板葺き 《元茅葺》
特に前守護地だった越前の国の大本山永平寺より、時の監院職(本山で禅師の次位、
後・天正16年宮中より紫衣を受け禅師号を賜う)にあった
喚龍善応和尚を請して開山とした。
坐禅堂の扁額 [洗塵] =せんじん ≒あらゆる塵を洗い落すか・・・
その後、寛政・文化(1789-1818)に至り、菅沼七代和泉守定亨が京都奉行の時、
その功勲により宮中より花器、大公儀より金百貫を賜い、永代寺録として吉田村20石の
寄附を受ける。
茅葺時代の庫裡
庫 裡 (本堂の右手)・・・銅板葺き 《元茅葺》 ・・・bigな庫裡だ!
明治初年、埼玉県下の名刹として、別格地(常恒会地)に昇格、
郡下唯一の格地寺院として今日に至った。
庫裡の入口(扁額) 庫裡内の土間 (天井が高い)
※【円相】・・・禅宗で、悟りの形象として描くまるい形。心性の完全円満を表す
土鈴の [円相]
庫裡内の [十方仏土中] の額
※【十方仏土中唯有一乗法 (じっぽうぶつどちゅう ゆいういちじょうほう)】
あらゆる世界におられる仏様が説く教えは、生きとし生けるもの皆が仏に成るという
教えのみ。
※【十方 (じっぽう)】
東西南北の四方と、東北・東南・西北・西南の四維と、上下の二方を合わせたもの。
空間的に全宇宙を表している。
昭和43年12月、住職27世浅田大泉和尚の代に至り、建物諸施設、境内の大改築を
行い、昭和44年10月より曹洞宗認可参禅道場として百人分の単を有する禅堂、
引続き 鐘楼・慰霊堂・客殿・東司の建立と相俟って、団体・個人・外人を問わず、
常時一般の参禅者を受け入れ、指導を行っている。
本堂前の石仏 (七観音菩薩像)
本堂前の石仏 (十六羅漢像)
本堂前の石仏 (六地蔵尊)
● 菅沼氏一族の墓 (東松山市指定文化財-考古資料)
菅沼定吉が開基となって建立した浄空院(上唐子)に立てられた墓石群で、定吉から
第10代・定業までの歴代のお墓と、そのほか一族のお墓を含めた計24基があります。
菅沼定吉(1553年生まれ、1606年没)は父・定氏の代より徳川家康に仕えました。天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原北条氏を倒して関東に勢力を広げ、
その支配を徳川家康に任せますが、その際に菅沼家も3,050石を知行地として与えられ、当時の唐子村域を拠点としました。
定吉は江戸城などの警備を担う警備隊長(大番頭)や将軍直属の親衛隊(書院番)などを歴任しています。
東松山市ホームページ (higashimatsuyama.lg.jp)
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● 「曹洞宗の伽藍配置に就いて」 横山秀哉氏著述ja (jst.go.jp) をチョット齧り中
[ 永平寺及大乗寺系とも名付くべき朱元の規を直伝する伽藍配置に対 して ]
[七堂完備型の省略様式]
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山門の正面には直ちに法堂(本堂)があって、向って左に僧堂衆察、右に庫裡が設けられ
夫等の諸堂は廻廊を以って連絡 中庭を囲繞する配置で・・・・・
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★ 浄空禅院も しかり ★
薬師堂(赤い屋根)の位置は 準境内か? 坐禅堂の道を挟んだ裏手にある
● 準境内の金毘羅神社
金毘羅大権現 天明5年(1785) 奉納とある
神仏習合の名残りを見る
・・・・・ いつもの 付録 ① ・・・・・
※ 東松山市ふるさと自然の道 都幾川歴史道・・・このコースに浄空院あり
東松山市ふるさと自然の道 都幾川歴史道 | e-moshicom(イー・モシコム)
清冽な都幾川の流れ。「景色でおなかのくちくなるような子どもに育てます。」そんな母の愛と唐子の自然に育まれ、唐子村に子ども時代を過ごした打木村治の大河小説「天の園」の舞台を味わい、箭弓稲荷・青鳥城跡などの歴史の風を感じながら歩きます。
静かに広がる川の畔に「原爆の図」で名高い丸木美術館もあります。
市内巡回バス等も利用しながら適宜、ショートカットできるコースです。
・・・・・ いつもの 付録 ② ・・・・・
参禅道場の文字に 過去真似事をした記憶が 蘇ってきたので 蛇足UP
(2011/5撮影)
曹洞宗ではないが
奥秩父の 太陽寺(天空の寺で宿坊・参禅人気あり)で 坐禅の真似事を体験
(臨済宗建長寺派)