夫の命日 | mikoronのブログ

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記録として書いていきたいと思ってます

夫 一周忌法要は6月14日に行いました。
今回は、会合等自粛の中、導師をお願いしていいものなのか、法要はどのようにしたらいいのか、不安と迷いの中、地区の方に相談した上、少人数で、マスクをして、長時間にならないように進めていくと言う形になり、
主人のお姉さん方々、娘の家族、私と息子、導師の方9人で執り行ないました。
当日は法要の後、いつものように皆んなで会食をすることも考えていだけど、まだまだコロナ感染に気をつけないといけない時期かなと思い、今回は、会食は控えて法要のみすることに決めた。
会食となると、どうしてもマスクを外さないといけなくなって時間も長くなってまうし、
また、会食の代わりにお持ち帰り出来るお弁当と思ったけど、食中毒の心配もあるので、心苦しけど短時間で終わらせて、少しでも、感染回避できる方がいいかなと思いこのような判断をした。


一年という長いようで、あっという間だったような気もしますが、色んなことを思い出しては、涙が出てしまったり、やっぱり夫という相方が側に居ないのはほんと、寂しいなと思う。
写真に向かっていろんな話を聞いてもらっても
返事がないのはさみしい。
美味しいものやお茶の時間一緒に食べても美味しいなっていう声が聞けないのはさみしい。
べったりいつも一緒にいたわけじゃないけどやっぱり寂しい。
いろんなことが走馬灯のように思い出し、こうしてあげたらよかったなと反省することもあり、反省しても、もうどうしてあげることもできなく、切ない。

切ない思いをするのは辛いから、楽しかった事をたくさん思い出そうと思う。


今年、コロナが流行り、もし、去年、主人の容態が良くなっていたとしても、肺を損傷していたことによって、もしかしたらコロナに感染していたかもしれない。
もしそうだったとしたら、看病してあげることもできなかったし、もし、コロナで命を落としてしまったら見送ってあげることもできなくて、遺骨を抱きしめることしか出来なかったんだなと思うと、
去年亡くなった時、亡くなることにも意味があってのことだからという事を思い出し、これがそのことだったのかなとも思える。
まだ他にもあるかもしれないけど、後になって、そういう意味だったんだなと思うことがあるんだろうな。


32年間ありがとう