Marlon Brando
マーロン・ブランド
(1924年4月3日-2004年7月1日)
アメリカの俳優。
20世紀の最も影響力がある俳優のひとり。
2つのアカデミー賞、2つのゴールデングローブ賞、カンヌ国際映画賞、3つの英国アカデミー賞など数多くの賞を受賞した。
ブランドは様々な問題の活動家でもあり、特に公民権運動と多くのネイティブ・アメリカンの活動に参加した。
1940年代にステラ・アドラーに師事したブランドは、一般大衆にスタニスラフスキー・システムとメソッド演技法を広く知らしめた最初期の俳優に数えられる。
1999年に発行した雑誌『タイム』では、マーロン・ブランドを20世紀最高の俳優と評している。
父の病状は良くなってきたものの、せっかくリハビリ病院で回復させた下肢の筋力が数日間の安静でまたも後退してしまった。
再度リハビリ病院に行くのか、自宅に直接戻って来るのか、微妙なところである。
さて、数多くのハリウッド俳優や女優とマイケルの交遊関係はとても有名なのだが、何故かあまりメディアで取り上げられることはない。
エリザベス・テイラーやライザ・ミネリ、キャサリン・ヘップバーン、ジェーン・フォンダ、テータム・オニールにブルック・シールズ……。
女優だけでも数えきれないほどだが、俳優もまた大御所の名前がズラリと並ぶ。
中でもマーロン・ブランドとの繋がりは濃くて深いものと言えよう。
何しろマーロンの息子のひとりであるミコ・ブランドは27年間にわたってマイケルのボディーガードをつとめていたからだ。
ブランドはネバーランド・ランチに住む長年の親友であるエンターテイナー、マイケル・ジャクソンを頻繁に訪ねた。
そこで数週間過ごすこともあった。
ブランドの息子ミコは数年間、ジャクソンのボディーガード兼アシスタントを務め、ジャクソンの友人でもあった。
ミコは「父が最後に家から出かけ、何かしたとき、それはマイケル・ジャクソンと一緒だった」と述べている。
「彼はそれを愛していた…24時間のシェフ、24時間の警備、24時間のアシスト、24時間のキッチン、24時間のメイドサービス。
何でも好きなことができた」。
「マイケルは晩年の父を助けてくれた。それについて私はいつまでも彼に恩を感じるだろう。父は最後の方、呼吸も難しく、ほとんどの間、酸素吸入されていた。父は外出が好きだったからマイケルはネバーランドを見て回れるようポータブルの酸素タンクがついたゴルフカートを用意してくれた。ふたりはただ運転して回っていた-マイケル・ジャクソンとマーロン・ブランドが、酸素タンクの付いたゴルフカートで」。
-Wikipedia「マーロン・ブランド」参照
高齢者の介護は家族にとって重くのしかかることが多い。
何しろ今までの生活が一変するからである。
そんなとき介護を信頼できる第三者に任せることができたら、当事者のみならず家族も一息つける。
ミコ・ブランドとある意味同じ状況になり、マイケルに口では言えないほど恩を感じているというミコの気持ちが今さらながらよく分かる。
このミコ・ブランドの名前が実は私のハンドルネームmiko の由来である。
Hey.I used to know a Miko.A good friend.(やあ。昔、ミコを知ってたんだ。いい友達だったよ)
ボットレル氏のメールに記されたMiko とはマイケルの友人であり、ボディーガードであったミコ・ブランド氏のことである。
突然のXのDM に驚いただけではなく、今まで誰からも言い当てられたことのないハンドルネームの由来にまさか気づいていただけるとは……。
この時点で二重に飛び上がりそうになった。
ビル・ボットレル(Bill Bottrell)氏とは、人気作曲家であり、プロデューサー、エンジニアである。
現在は音楽業界を引退、悠々自適な生活を送られている。
ボットレル氏は1985年の『BAD』制作の初期からマイケルのチームに参加。
アルバム『Dangerous』のプロデューサー。
ミコ・ブランドとマーロン・ブランドが唯一共演した映像
Thank you for the upload.
7月のMJセミナー
7月13日(土曜日)
7月20日(土曜日)
14時から17時
「マイケルと仏教と」
参加費ドリンク代込み
10000円(大人)
5000円(学生)
参加者が多い場合は
参加費を割引させて頂きます
会場:都内某所
お申し込みお問い合わせは
MOUSAの会
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