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梅がえに きゐるうぐひす 

はるかけて 

なけどもいまだ 雪はふりつつ

 

             よみ人しらず

 

梅の枝にやって来たウグイスが春の到来に思いを寄せて鳴いているけれど、まだ雪が降り続いているよ。
 
古今和歌集 第一巻(春歌上5首目)
 
 
ウグイスというと明るめの黄緑っぽい鳥を想像する方も多いと思いますが、実際のウグイスは緑褐色で、梅の木にとまって蜜を吸っている鳥はメジロです。
ウグイスは雑食性で昆虫や果実などを食し、非常に臆病な性格で人前に姿を見せることは稀だそうです。
ちなみに平安時代では、桔梗と朝顔、蝶と蛾、マツムシとスズムシなどは一緒くたにされており、区別もされていませんでした。
類聚名義抄の記述からは狸はイタチや猫とも混同されていたようです。
明確に分類されるようになったのは本草学が発展した江戸時代に入ってからです。
ウグイスは春早くに現れるため、春告鳥(はるつげどり)とも呼ばれます。
それ以外の他の異名として、「花見鳥」、「歌詠鳥」、「読経鳥」などとも呼ばれます。
 
━『和歌の世界』 「梅がえに」 一部抜粋
 
 
 
年明け早々、北陸の大地震や航空機の炎上など国内は厄災続きである。
 
海外からのニュースも心が重くなるものばかり。
 
我が家も少し年末年始にかけて慌ただしいことが。
 
やっと目処がたち新年初のブログ記事に取りかかることが出来るようになった。
 
 
そんな気忙しい中でも時間を見つけて近くの公園まで散歩に出掛けたのだが、そこで思わぬ歓迎を受けた。
 
動画も撮影したのだが、何度挑戦してもアメブロに貼り付けられないので、まずは写真だけ。
 
ピンク色の満開の山茶花なのだが、この木々の間を数十羽のメジロが蜜を吸いながら、鳴きながら、飛び交っていた。
 
何とも愛くるしい鳴き声と姿に、しばし見とれていた。
 
家に戻って早速メジロの和歌を調べて見たのだが、面白いことにほとんど詠まれることはなかった。
 
メジロの代わりに詠まれていたのがウグイスなのである。
 
つまり歌の世界からも証明出来るように、長年にわたりウグイスメジロと混同されていたのである。
 
そもそもウグイスの鳴き声は確かに春先に聞こえてくるが、姿はほぼ見かけない。
 
けれどメジロはわりと見かけることが多い。
 
 
 
 
 
 
 
アップアップアップ
 
 
ここまで書き上げて、またも一大事が我が家で起き、結局告知する時間もとれず、ひっそりと新年初のセミナー(旧MOUSA のお話会)を昨日(1月8日)開催した。
 
ひっそりとは言っても気心の知れた人たちとの集まりなので心弾む時間を過ごさせて頂いた。 
 
有難いことである。
 
その折、まだ書きかけの今回のブログ記事の話もさせて頂いた。
 
山茶花に集まるメジロに癒された話をし、そこからマイケルへと。
 
 
メジロとマイケル。
 
東京豊島区にある「目白」はJR 山手線の駅を中心とした町で、娯楽施設は少なく、ほとんどが閑静な住宅地で、高級住宅街の一つでもある。
 
昨日全焼してしまった田中角栄氏の自邸目白御殿も目白台の静かな住宅街にある。
 
総理大臣公邸に住まなかったことで目白御殿には数々の政治家や要人が「角栄詣」を繰り返し、昭和政治の舞台となった。
 
では、田中角栄氏が目白に在住した最初の政治家なのかと言えばそうではない。
 
現在はホテル椿山荘として知られる建物がある。
 
江戸時代の地誌によると、南北朝のころには東京都西北部目白台は既に椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれていたようだ。
 
この敷地は江戸時代、上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷であった。
 
明治11年(1878年)に、軍人・政治家であった山縣有朋が私財を投じて「つばきやま」を購入し庭や邸宅をつくり、「椿山荘」と命名した。
 
山縣有朋は伊藤博文と共に明治政府の最高指導者となった人物である。
 
日本軍閥の祖と言われ、また政治家としても手腕を発揮した。
 
しかし、それ以上に極めて文化人でもあった。
 
和歌を嗜み、作庭については一家言(いっかげん)を有していた。
 
山縣の名園には、京都の無隣庵、小田原の古稀庵、そして東京目白のホテル椿山荘東京で、これら三園をあわせて山縣三園と呼ばれている。
 
1992年、椿山荘敷地内に、「フォーシーズンズ椿山荘 東京」がオープンする。
 
2003年、露壇式庭園改装(露壇式庭園とは、ルネッサンスの影響を受けた、イタリアの庭園様式)。
 
2006年5月、マイケル・ジャクソン、フォーシーズンズホテル椿山荘 最上階のスイートに滞在。
 
 
 

 
 
ところで、目白の地名の由来で有力なものは、この地で生まれた白い名馬に由来するという説や、三代将軍徳川家光が鷹狩りの際に、目黒に対してこの地を目白と呼ぶように命じたとする説、目白不動尊に由来するという説などがある。
 
江戸開府の際、天海(慈眼大師)がこの地を守護するための5体の不動の像をつくり、目の色を赤・黒・青・白・黄にしたことで五色不動(ごしきふどう)と呼ばれ、目の白い不動が目白不動尊であり、地名の由来にもなったという。
 
地名の目白の由来は、どうやら鳥のメジロとは無関係な説ばかりである。
 
けれど古来より「つばきやま」という景勝地であったことを考えると、異称で「はなすい」「はなみつ」と呼ばれた「メジロ」が全くの無縁とも思えない。
 
何しろ山茶花椿の花の蜜は「メジロ」の大好物である。
 
2006年5月、2007年3月と二度にわたり、フォーシーズンズホテル椿山荘 東京に滞在して「メジロ」の囀ずりに耳を傾けたり、木々の間を飛び交い愛くるしい姿を目撃したかもしれないマイケルに、どのように推察するかを聞いてみたいところである。
 
 
 

 

 

Thank you for the upload.

 

 
 
遅ればせながら、皆様本年も宜しくお願い致します。
訃報続きではありますが、健康にご留意くださいませ。
本年もオンラインサロン、セミナーやワークショップを開催していきますので、ご都合の宜しい方は是非ご参加くださいませ。
 
 
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