ドイツのボン、ケルン、デュッセルドルフ、マインツ、アーヘンなどのカーニバルの本拠地では、薔薇の月曜日(ローズマンデー)の行列が繰り出し、「カメレ」という叫び声をあげる人たちに向けて菓子を投げる。

 

 

謝肉祭(カーニバル)は、元々古いゲルマン人の春の到来を喜ぶ祭りに由来し、その後キリスト教に取り込まれたものである。

 

毎年、2月の初めから3月にかけて祝われることが多い。

 

一週間教会の内外で羽目を外した祝祭を繰り返し、その最後に自分たちの狼藉ぶりの責任を大きな藁人形に転嫁して、それを火あぶりにして祭りは閉幕するというのがその原初のかたちであったと言われている。

 

今現在、カーニバルは宗教的な姿を留めず、単なる年中行事や観光行事になっている地域も多い。

 

 

今年の薔薇の月曜日(ローズマンデー)は、勿論すでに終了しているのだが、今までになく特別な行事になってしまったことは確かだろう。

 

何しろ、今年のカーニバルによって、コロナウイルスがヨーロッパに蔓延させる起爆剤となったからだ。

 

 

 

かつて、日本人の宗教観であったり、人間性を西欧の人たちに理解してもらうために『武士道』が英語で執筆され、世界的なベストセラーになった。

 

読書家でもあったマイケル・ジャクソンも『武士道』を読み、日本人を理解する一助としたことはコアなファンの間では有名な話である。

 

相手を知る、相手を理解するということは、どんな場面であっても友好な関係を望む場合には最重要項目の一つであろう。

 

 

世の中を見渡すと、案外知らないことばかりである。

 

例えば、今回のテーマの薔薇の月曜日(ローズマンデー)と呼ばれるカーニバルも実はつい最近まで、私は知らなかった。

 

お恥ずかしい限りである。

 

昨日の372年ぶりの夏至の日食を調べているうちに、何故かたどり着いた次第である。

 

 

 

372年前の1648年に、どのような出来事があり、世界が動いていたのかが不思議と気になった。

 

 

日本では徳川家光の治世であり、慶安元年。

 

天皇は後光明天皇であるが、幕府と対立姿勢を崩さなかった。

 

そのせいか、後光明天皇の在位中に元号の改元がなされた。

 

後光明天皇の即位に伴った「正保」という元号は、徳川家光が定めたものであった。

 

ところがこの「正保(しょうほう)」が、「焼亡(しょうぼう)」と音が似ている。

 

また、「正保元年」と書き記すと、かつて大乱があった元号「保元」より、「正(まさ)に保元の年」と読め、再び大乱が起こる兆しがあるという批判が京都から高まり、1648年2月15日に短期間で改元されることになったと伝えられている。

 

次の元号の慶安の出典は、古代中国の書物『周易』の「乃終有慶、安貞之吉、応地無疆」からで「どんな時も友と仲良くし、助け合えば吉である」という意味である。

 

 

 

世界的な出来事でいうと、ヴェストファーレン条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争(三十年戦争)が終止符が打たれた年である。

 

三十年戦争はボヘミアにおけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発し、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争のことである。

 

当初は神聖ローマ帝国内で局所的に起きた小国家同士のカトリックとプロテスタントの諍いが、やがて大国として大きな影響力を持っていたデンマーク、スウェーデン、スペイン、フランスなど、ヨーロッパ中を巻き込む国際戦争へと発展したものである。

 

30年間にわたり、多くの尊い血が流され、1648年10月24日、ヨーロッパの大国のほとんどが参加して、現在のドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州にあるミュンスターで平和条約が締結された。

 

この近代国際法の元祖であるヴェストファーレン条約により、キリスト教世界の平和と安寧が取り戻され、新たなヨーロッパの秩序が形成されるようになった。

 

 

 

372年前、「薔薇の月曜日(ローズマンデー)」の頃に鎖国をしていた日本は、「どんな時も仲良くし助け合えば吉である」という意味の元号に改元した。

 

その年の秋にヨーロッパではヴェストファーレン条約の締結により、17世紀後半から19世紀初頭に至るまでのヨーロッパにおける国際秩序が保たれることとなった。

 

スピリチュアル的に簡潔に説明すると、372年前の夏至の日食が観測された年に、日本とヨーロッパが「平和」のシンクロニシティを起こしたようだ。

 

日本は世界のひな型と言われる所以であろうか。

 

 

 

「薔薇の月曜日(ローズマンデー)」で有名な街ミュンスターは、古くから「北のローマ」と呼ばれていた。

 

17世紀ヴェストファーレン条約の協議のためにこの地を訪れていた後の教皇アレクサンドル7世は「雲まで届く尖塔があり、そこからみんなに聞こえるようメロディアスなグロッケンの音が響く」という言葉を残している。

 

因みにグロッケンとは金属製の音板をもつ鍵盤打楽器で、鉄琴の一種である。

 

ミュンスター住人は皮肉めいた言葉で「この街は雨降りか、教会の鐘が鳴っているのかどちらかだ。その両方が同時に起こっているならば、それは日曜日ということだ」

 

 

雨降りの月曜日。

 

372年前のタイムトラベルから旅案内人のマイケルと共に私はやっと、帰還した……。

 

 

 

 

 

 

Thank  you  for  the  upload.