「山の老人」が支配する国の、二つの山の間の渓谷に、「秘密の園」がある。

 

その庭園では世界中の珍しい果物を栽培しており、多くの美女が楽器を弾き、ミルクやハチミツの甘い川が流れている。

 

「山の老人」はしばしば山を下りてふもとで若者を集め、この庭園について語り聞かせる。

 

眠り薬を飲ませて庭園に連れてきた若者は、この庭園で酒池肉林の快楽を味わう。

 

夢のような時間を過ごすと、いつの間にか、また眠りにつく。

 

目覚めると、庭園はどこにもない。

 

いつもの馴染みの場所にいる。

 

あれは夢だったのかと、自問自答するところに、件の「山の老人」が再び姿を見せる。

 

「再び楽園に戻りたければ、この短剣を使って神への忠誠を示さなければならない。汝は楽園に戻ることを望むか」

 

すると、若者は迷うことなく、如何なる危険も辞さなくなる。

 

 

以上の「秘密の園」という伝説が、ヨーロッパには残されている。

 

酒池肉林の快楽を味わえる「秘密の園」とは、はたして天国なのだろうか。

 

それとも地獄なのだろうか。

 

 

 

このヨーロッパに伝わる伝説の若者は、眠り薬を飲むことで「秘密の園」に入り込んだが、マイケルは瞑想しているときに「天地創造の三日目」に入り込んだそうだ。

 

この辺りのさらに詳しいエピソードは、サッチー亀井氏の新刊で、恐らく解き明かされることだろう。

 

 

「天地創造の三日目」に入り込むと言った摩訶不思議な体験をしたマイケルは、やがてそのときの体験をアルバムのジャケットカバーで表現した。

 

それが、あのアルバム『Dangerous』のカバーアートである。

 

 

ヒエロニムス・ボッシュの『悦楽の園』のアイデアと構想をかなり吸収していたと、アルバム発売当初から分析されていたが、何故、マイケルが『悦楽の園』に強くインスパイアされていたのか。

 

その決定的な証言やエピソードは、今まで言及されていなかった。

 

マイケルが「天地創造の三日目」の世界に入り込むというエピソードが明かされたことにより、何故『悦楽の園』を選んだのかがやっと明瞭になった。

 

 

『悦楽の園』の体裁は、板に油彩で描かれた三連祭壇画である。

 

長方形の両翼を閉じると、中央パネルを完全に隠すことができる。

 

すると、ある一幅の絵が私たちの目の前に突如現れる。

 

何と、両翼裏面それぞれには、半円ずつ天地創造の地球のグリザイユが描かれているのだ。

 

 

グリザイユとは、モノクロームで描かれた絵画のことである。

 

色は一般に灰色か、茶色だけが用いられるが、少しだけ他の色がつくこともある。

 

『悦楽の園』の両翼裏面は、緑灰色のみで彩色されたグリザイユで他の色は使われていない。

 

 

このボッシュの両翼外面に描かれた天地創造期の地球とは、植物が創造され、大地が緑で覆われはじめた原初の地球である。

 

画面上部には『旧約聖書』の「詩篇」33-9の言葉が記されている。

 

~まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ~

 

大地は透明な球体に密閉された状態で描かれており、この手法は天地創造を描くときに昔から使われていた手法である。

 

淡く頼りない光が辺りを包み込んでいるが、薄暗い世界に存在しているのは唯一神のみである。

 

大地には植物が描かれているものの、未だ人類もその他の動物も存在していないことから、聖書に書かれた「天地創造の三日目」を描いたと考えられている。

 

 

外面の翼に描かれたグリザイユは、祭壇画全体を構成するストーリーに重要な位置を占めている。

 

鉱物と植物だけで構成された無人の大地は、特に内面中央に描かれたパネルの快楽に耽(ふけ)る人類の満ち溢れた天国との対比を明確に表現している。

 

因みに、内面左翼パネルは、エデンの園が描かれ、キリストの姿をした神がイブの手を取り、アダムに娶(めあ)わせる様子が描かれている。

 

右翼パネルには、人間たちが悪魔の群れに様々な責め苦を受ける地獄が描かれている。

 

 

美術史家や評論家は、『悦楽の園』を誘惑からの危険に対する警告を意図した作品であると解釈することが多い。

 

しかしながら、中央のパネルに描かれた猥雑で人目を引く裸体の人物、空想上の動物、巨大な果物、石などが積み上げられた構造物の広大な情景が何を意味するのか。

 

何世紀にもわたって、学術論争の的になってきた。

 

しかし、結論は未だに示されていない。

 

 

ヒエロニムス・ボッシュは画家としてのキャリアを通じて、3点の三連祭壇画を制作した。

 

どの祭壇画もそれぞれのパネルに描かれた題材が重なり合い、裏面の絵画も含め、全体として一つの意味が表現される構成となっている。

 

ボッシュの作品作りとマイケルの作品作りは、同じ旋律を奏でている。

 

何しろ、ボッシュの作品も、マイケルの作品も、どちらも『旧約聖書』を取り入れているのにも拘らず、特定の歴史や信仰に直接関連するテーマを扱ったものではないからだ。

 

この点が、もしかしたらハリウッド映画、特にヒーローものの作品作りと大きく異なっているのかも知れない……。

 

 

 

 

 

 

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