玄関に飾っておいたウェルカム・リースの一際(ひときわ)大きな花が、昨日、吹き荒れた「春一番」に攫(さら)われた。
家の周りや、目の前の公園も探してみたが、どこにも見当たらなかった。
ふと、ボッティチェッリの「La Primavera」が頭の中に浮かんだ。
イタリア・ルネサンス期のフィレンツェの画家ボッティチェッリによって描かれた絵画「La Primavera(春)」のテーマは、「愛」であった。
この絵の中央には、愛の女神であるヴェーヌス(ビーナス)と、その頭上に愛の神エロースが、左側には美の三女神と、神の使いであるヘルメス、右側には花の女神フローラとニンフ・クロリス、そのクロリスを捕えた西風の神ゼフュロスが描かれている。
因みに、花の女神フローラとニンフ・クロリスは同一の存在である。
西風の神ゼフュロスは、四方の風神たちの中で、もっとも温和で優しいとされる神である。
その温和な筈の春を運ぶ風神が、一目惚れをしたせいであろうか。
頬をふくらませ、青い顔をして、荒々しくニンフ・クロリスを捉えている。
一介のニンフと神では、身分差があり、それ故にクロリスは西風の神ゼフュロスの求愛を拒み、逃げだそうとしたのかも知れない。
格差婚が問題になるのは、何も人間界だけの現象ではないようだ。
大昔から、神々の世界でも、同じようである。
しかし、恋する神ゼフュロスは、ニンフ・クロリスを強引に攫っていき、結婚を果たす。
西風の神ゼフュロスの妻となったニンフ・クロリスは昇格して、花を司る女神フローラへと変身した。
絵画のタイトルとなった「La Primavera」。
イタリア語、スペイン語で「春」の意味であるが、ラテン語 prima vera 由来の言葉である。
ラテン語では prime (第一の、はじめの)、vernal (春の)なのである。
つまり、「La Primavera」とは、「春一番」と同意と解釈して、間違いないだろう。
「春一番」は、立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風であり、正しく春を運ぶ風神ゼフュロスの起こす風である。
そうすると、もしかしたら、あの一際大きな花は、恋に盲目となった西風の神ゼフュロスに奪われ、花の女神フローラに捧げられたのかも知れない。
そんなことを考えながら、昨日も私はソニープラザに足を運び、大画面のマイケルを思いっきり楽しんできた。
“Black Or White”のパンサー・バージョンの導入部における、立っているだけでも大変な強風。
あの嵐のような強風の意味……、実は長年スッキリとした答えが見つからなかった。
風を受けて、シャツの裾をはためかせる演出は、キリスト教圏の人が見ると、神であったり、救世主を連想させるようだ。
イエス様が大好きで、イエス様の真似をしていると素直に答えていたマイケルは、確かに風の演出を数多く取り入れていた。
ただ、それにしても、パンサー・バージョンの風は、強過ぎる。
マイケルが降臨させたがっていた神。
際立って美しい花を西風の神ゼフュロスに盗まれて、やっと個人的に納得のいく答えが見つかった。
それは、「春一番」であり、西風の神ゼフュロスだったのだろう。
謎とされた幾つかの点が線に変化する。
マイケルが“Dangerous”で歌った
~Deep in the darkness of passion's insanity
I felt taken by lust's strange inhumanity
情熱と狂気、その暗闇の深いところで
僕は初めて知る 獣のような欲望に乗っ取られてしまうのを感じた~
をダンスで表現したと考えて、間違いない。
西風の神ゼフュロスを味方につけて、ただひとりの恋人(ツインソウル)をマイケルは捉えようと試みたのだろう。
だからこそ、周囲が戸惑うような、性的なダンスをマイケル自身が踊りたがったのではないだろうか。
多くの人々がショックを受け、混乱した“Black Or White”のパンサー・バージョン。
実は、とんでもなくロマンチックな、マイケル版「La Primavera」と改題してもおかしくはない作品だった。
ソニープラザを後にして、マイケルが来日する度に足を運んだビック・カメラで、時計の電池交換をして、私は帰宅した。
帰宅後、他の方のブログを訪問して、「私を構成する成分は・・・」を知った。
面白そうなので、私も参加してみた。
マイケルの音楽のシャワーを浴び、マイケルの聖地巡礼の効果はどうやら抜群だったようだ……。