鳥居ミコですキラキラ

 

 

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私は

 

・コンサルタント

・セミナー講師

・トリニティ数秘術認定講師

・弁護士(24年目)

 

をしています。

 

 

 

 

新しく出会う方が増え

アメブロ開設10周年

を迎えた今

 

私がどういう想いで

発信しているのかを

 

まとめてみました。

 

 

 

 

きっと

こんな人生もあるのかと

面白がっていただけるかと

思います。

 

 

 

 

よかったら

しばらくお付き合いください。

 

 

 

 

 

私は今年、アメブロを書き始めて

ちょうど10年になります。

 

 

 

たくさんの経験をして

人よりもかなり濃密な人生を

送ってきました。

 

 

 

それと同時に

たくさんの方の人生に

触れてきました。

 

 

 

 

そういう私だからこそ

「本当に幸せな人生」とは

どういうものだと思っているのか

 

お話します。

 

 

 

 

 

●ひたすら頑張り続けた

先に幸せを感じることが

なかった

 

 

ここで

私のこれまでの人生について

お話すると

 

 

・18歳の時に「親の干渉から

自由になって経済的に自立したら

幸せになれる!」と思い立つ

 

 

そこで

 

・複数のアルバイトを掛け持ちして

大学を卒業

 

 

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●幸せになる目的を達成したかに

見えたけど

 

 

・大企業に就職。SEに

 

 

・25歳で寿退社

 

 

 

その頃は

バブル全盛期でした。

 

 

世間的に

評価の高い会社に入ることが

幸せになるには

必須だと思っていました。

 

 

そして

 

25歳で

親が望ましいと言う相手と結婚し

 

過干渉な親元を離れることが

幸せになる上で

さらに必要だと思い

 

結婚を機に

せっかく入いった会社を

退職したのです。

 

 

 

これで

「幸せになる」という目標は

達成されたように見えました。

 

 

 

ところが・・・。

 

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私の心は

幸せではありませんでした。

 

 

 

●右腕が動かなくなる

 

 

思い描いた理想とは

かけ離れた日々が始まり

 

気づいた時には

右腕が動かなくなっていたのです。

 

 

病院では「心因性」と診断され

二週間ほど三角巾で腕を吊る生活を

しました。



 

それをきっかけに

 

「家にいるからダメなんだ」

と思い始め

 

派遣会社に登録して

仕事を再開することにしたのです。

 

 

 

 

そんな中

派遣先の

コンサルティング会社で

働いていた時

 

 

専門知識がないと

何を言っても

耳を傾けてもらえない

 

と思う出来事に遭遇しました。

 

 

 

そのタイミングで

たまたま会った後輩に

真剣に勧められたことと

 

通勤用に買った

「民法案内」という書籍に

感銘を受け

 

28歳の時

急に司法試験を受けようと決意し

 

33歳で弁護士になったのです。

 

 

 

 

こうして

一生ものの資格を取得したら

今度こそ

「幸せになる」という目標は

達成されたかに見えました。

 

 

 

 

 

●離婚という選択

 

 

ところが今度は

 

新米弁護士として

仕事に邁進している時に

 

子供を持つかどうかの決断

 

を迫られたのです。

 

 

 

すると

その時

自分でも驚きましたが

 

 

心が

ある過去の出来事に

囚われていて

 

どうしても

 

YESと言えなかったのです。

 

 

 

 

そこで

真剣に考えぬいた結果

35歳の時に離婚しました。

 

 

 

 

10年ぶりに

独身生活に戻り

 

旅行したり

友人と遊びに出かけたり

自由を満喫するように

なったのです。

 

 

 

 

●母が末期の癌に

 

 

そんなある日

 

パリでの夏休みから戻ると

珍しく

母から留守電が入っていました。

 

 

「お母さんです。

子宮の癌だそうです。

ステージ4で手術できないと

言われました。

しばらく入院します。」

 

 

 

末期の癌…。

 

思いがけない内容に

言葉を失いました。

 

 

 

それからは

母の闘病生活に合わせて

病院や実家を

頻繁に往復する生活が

始まりました。

 

 

 

そして

 

母のそばにいる時間を

もっと

自由に確保したいと思い

 

40歳で

お世話になった法律事務所を

独立することにしたのです。

 

 

 

 

ところが

 

気づけば

手持ちの案件は

70件を超えていて

 

毎日6件以上

裁判所や打ち合わせの予定が

手帳に書き込まれていて

 

歩きながら

コロッケバンを食べるような

生活に。

 

 

 

人を頼ることが

ものすごく下手だった私は

 

それらを全て抱えたまま

 

歯を食いしばって

頑張るしかないと

思い込んでいました。

 

 

 

 

そんな中

 

母の病状が

少しずつ悪くなり

 

とうとう

ホスピスに入院することに

なりました。

 

 

 

そこで

 

3ヶ月

仕事をほぼ休んで

最期を看取るまで

母に付き添ったのです。

 

 

 

 

ただ

 

母が亡くなった時

ものすごく

悲しかったはずなのですが

 

 

ほとんど泣けなくて

 

仕事を頑張ることで

なんとか

自分を保っていました。

 

 

 

そして

 

徐々に

とことん争う訴訟や

厳しい刑事事件が

増えてきて

 

仕事そのものが

しんどくなってきました。

 

 

 

そんな中

東日本大震災が発生。

 

 

 

 

●激務の中、流産

 

 

その頃に出会った人と

45歳で再婚したんです。

 

 

その時は

子供が欲しいと

思うようになったことが

再婚のきっかけでした。

 

 

 

ところが

 

再婚から3ヶ月後に

 

激務の中流産してしまったのです。

 

 

 

 

その時も

 

ものすごく悲しかったくせに

 

泣くこともできず

怒りを出すこともできず

 

何もなかったかのような

ポーカーフェイスで

やり過ごしてしまったのです。

 

 

 

人に迷惑を

かけたくなかったから。

 

 

 

 

それで

 

ますます

仕事に邁進しました。

 

 

 

 

 

●いつからか不協和音が

鳴り出した

 

 

すると

 

いつからか

夫婦間に不協和音

鳴り出して

 

コミュニケーションが

成り立たなくなったのです。

 

 

 

 

そこで

 

私がなんとかしなければ

ならないと思い込んで

 

 

6時に起きて

食事やお弁当の用意をしたり

夜も6時には仕事を終えて

食事の用意をしたりして

良き妻であろうと頑張りました。

 

 

 

ところが

状況は悪化の一途

 

 

 

それで

 

自分が悪いんだと

ずっと

自分を責めていました。

 

 

 

ですが

自分を責め続けていると

心が本当に荒んでいくんですよね。

 

 

 

 

気づいた頃には

 

人生に絶望していたんです。

 

 

「毎日がお葬式」のような顔を

していて

 

追い詰められて

どうにもならない…

 

という心境になっていました。

 

 

 

 

ところが・・・。

 

 

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●初めて本気で

自分を幸せにしたいと思う

 

 

そんなある日

 

生まれて初めて

グループカウンセリング

というものを受けたのです。

 

 

 

すると

 

母親のことがずっと嫌い

母のようにだけはなるまいと

思いながら生きてきたことや

 

そんな自分のことを

自分が大嫌いだったことが

わかって

 

 

知らなかった自分

出会ってしまったのです。

 

 

 

(こんな私がいたなんて…)

 

生まれて初めての

大きな衝撃でした。

 

 

 

 

そこで

 

もっと自分のことが

知りたくて

心の仕組みを学び始めました。

 

 

そして

 

生まれて初めて

本気で

「自分を幸せにしたい」

と思うようになって

 

生き方を180度変える決心

 

をしたんです。

 

 

 

それが47歳の時でした。

 

 

 

 

●二度目の離婚

 

 

それまではずっと

 

「離婚は悪」という

思い込みがあって

 

(二度目の離婚だけは

してはいけない)

 

と言い聞かせていたんです。

 

 

 

でも

 

(こんなにも苦しい毎日を

続けていても

私を幸せにはできない)

 

と思って

 

再び離婚

 

 

 

 

●真逆をやり始めたら

人生が一気に好転し出した

 

 

それ以後は

 

それまでやってきたことを

片っ端からひっくり返して

「真逆」をやり始めたんです。

 

 

 

なぜなら

 

人生46年かけて

幸せにならなかったのだから

 

それまで信じてきたことは

全て間違ってた

 

と思うくらいが

ちょうどいいかもしれないと

思ったからです。

 

 

 

すると

人間関係や仕事など

様々なことが

好転し始めました。

 

 

 

 

そして

48歳でカウンセラー、

49歳でコンサルタントとして

活動を開始したんです。

 

 

そして

 

自分のビジョン

明確に意識し出した頃

 

思いがけず

出版のお話をいただいたのです。

 

 

 

それで

 

51歳の時

 

「真逆」のチャレンジをテーマに

人生初の書籍

出版させていただきました。


 

 

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52歳からは

 

恋愛や

心を扱う仕事や

ビジネスについて

オリジナル講座やスクールを

開講。

 

一人でも多くの方が

本当に幸せな生き方や働き方

できるような知恵

分かち合い始めました。

 

 

 

 

●再々婚

 

 

そして

 

57歳になった日に

最愛の人と

6年間の交際を経て再々婚

 

 

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すでに二回

失敗していたので

 

不安がなかったわけでは

ありません。

 

 

 

でも

 

世間の評価とか条件とか

何かを手にいれるためとか

そういったこととは関係なく

 

 

ハートの真ん中で

心から幸せだと感じられる選択

生まれて初めてすることができました。

 

 

 

おかげさまで

とても幸せな毎日を

過ごすことができています。

 

 

 

 

●幸せは自分の中にあった

 

 

こうして振り返ると

 

 

幸せになりたくて

 

お金を稼いだり

 

良い会社に就職したり

 

親の認める相手と結婚したり

 

一生ものの資格を取ったり

 

仕事に邁進したり

 

子供を持とうとしたり

 

 

 

自分の外側

 

にある何かを手に入れることで

幸せになろうと頑張っていた間は

 

結局

幸せになれなかったんです。

 

 

 

 

ところが

 

「自分を本当に幸せにしたい」

 

と本気で思い始めてから

 

 

自分の心の声に

耳を傾けたり

 

自分の心身を

労ってあげたり

癒してあげたり

するようになって。

 

 

 

そのおかげで

 

(あぁ幸せだなぁ)

 

という感覚が

内側から湧いてくるのが

少しずつ

わかってきたんです。

 

 

 

 

それは

私にとって

初めての気づきでした。

 

 

 

仕事に没頭したり

悩み続けたりして

思考し続けていた間は

 

自分が何を感じて

どんな感情かなんて

 

気づいてあげることさえ

できなかったのですが

 

 

悩むことや

考えることから

自分を解放させることが

できるようになったら

 

 

みるみる

感覚や感情が

躍動するようになったのです。

 

 

 

 

そして

笑いたい時に笑い

泣きたい時に泣けるように

なったのです。

 

 

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そんなことを

積み重ねる中で

 

幸せは自分の中にある

 

ということを

確信するようになりました。

 

 

 

 

 

私は

 

子供の頃から

 

両親や兄をはじめ

たくさんの人に

愛されたり

助けてもらったり

したにもかかわらず

 

 

外側に幸せを求めたり

目に見える成果を追いかけたり

し続けていたが故に

 

そういった人たちの

愛とか思いやりに

気づくことが

できなかったんです。

 

 

 

ところが

 

自分の中にある幸せに

気づけるようになったら

 

周りの人たちの

愛とか思いやりが

 

どれほど私を

励ましたり助けたり

してくれていたのかが

 

ようやく

わかるように

なりましたピンク薔薇

 

 

 

 

 

また

 

2018年から

様々な講座を開催するように

なりましたが

 

 

受講生さんたちに

 

自分の内側から

幸せを感じていく方法を

色々な切り口から

分かち合ったところ

 

 

皆さんの

意識や人生が

どんどん

変わり始めたんです。

 

 

 

 

●本当に幸せな人生を生きよう

 

実は

 

私の母は

時折

「幸せなんて絵に描いた餅よ」

と言っていました。

 

 

幸せ家族のような特番を

テレビでやっていると

 

秒で消してしまうほど

「幸せ」と言う言葉を

嫌っていたんです。

 

 

 

でも

 

私はあの頃の母に

伝えたいんです。

 

 

「幸せは自分の中にあるものなの。

自分の内側に意識を向けてあげて。

幸せって

感じるものだし気づくものなの。」

 

という風に。

 

 

 

 

この10年

このアメブロに

日々思うことや気づいたことを

綴ってきた中で

 

もうひとつ

確信したことがあります。

 

 

それは

 

「自分を幸せにすることは

世界を幸せにすること」

 

だということです。

 

 

 

 

私自身が

本当に幸せだなぁと感じられる

人生を送るようになってからと

いうもの

 

身近な人たちも

普段お付き合いのある人たちも

 

とても幸せそうなんです。

 

 

 

そして

 

出会ってきた

クライアントさんたちも

 

ご本人がまとう空気感が

どんどん変化して

 

一緒にいるだけで

幸せな感覚が広がるような方が

増えていらっしゃいます。

 

 

 

 

幸せな感覚って

本当にわかりやすく

伝染するんですピンク薔薇

 

 

 

 

 

そのようなわけで

 

私はこれから

 

ますます幸せな人生を

生きようと思っていますし

 

 

幸せな人生を生きる人が

一人でも多くなるように

 

私の持てる知恵を全て

分かち合っていこうと

思っています。

 

 

 

 

●女性が自立して

最幸の人生を

生きられる世界へ

 

 

そんな私は

こういうビジョンを持っています。

 

 

 

女性が

精神的にも経済的にも自立し

人生のイニシアチブを握って

生きられるようになり

 

日々心が満ちて

意識とともに

恋も仕事もお金も

全方位に拡大する。

 

 

そんな

 

【誰もが自由に人生を開花させ

最幸の人生を生きられる世界】

 

を創造していく。

 

 

 

 

そのために

 

少しずつ

本当に幸せな人生の土台となる知恵を

総合的に身につけていける仕組みを

整えていきたいと

 

思っています。

 

 

 

 

 

このビジョンは

私だけの力や知恵では

到底なしえないと思います。

 

 

 

 

たくさんの方に

お力やお知恵を借りながら

歩いていくことになると

思います。

 

 

 

 

 

 

ここに

こうして

宣言することで

 

その未来を創るための

一歩を

踏み出します。

 

 

 

 

 

 

今後とも

どうぞよろしくお願いいたしますキラキラキラキラ

 

 

 

 

 

 

最後までお読み下さって

ありがとうございましたピンク薔薇

 

 

 

 

 

 

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photo by 宮崎龍

 

 

 

 

 

今日もブログを読んでくださって

 

ありがとうございますラブラブラブラブ

 

 

 

 

 

 

 

鳥居 ミコラブラブラブラブ