私がまだ
自分の
ものの考え方や
価値観や
意識がどうなっているのかに
まったく興味がなかった頃。
日々は単調に過ぎていて
人に何かを言われても
ハッとすることなどなくて
出来上がったリズムの元に
似たようなパターンを
繰り返すことしか
できませんでした。
でも
それを続けていたら
ある時期から
身近な人との関係が
うまくいかなくなり
それ以外のことも
うまくいかなくなり。
一番の衝撃は
私には緑に見えているのに
相手は黒だと言い
私には四角に見えているのに
相手は三角に決まってると言い
という現象が
続いたことでした![]()
それで
人生で初めて
私に見えているものは
間違っているんじゃないか?
とか
本当のことなど
何もわかってなど
いなかったんじゃないか?
といった疑問が
生まれたのです。
それこそが
私にとっての
人生の岐路に立った時
だったのだと
思います。
自分がいいと思うもの。
自分が正しいと思うもの。
いろんなことが
うまくいっている時に
それを
「疑ってみて」
なんて言われても
疑うのは難しいですよね。
でも
いろんなことが
うまくいかなくなったからこそ
初めて
真摯に
自分の信じてきたことを
ひたすら
疑ってみることができたのです。
それが
2013年冬のことでした。
私は
自分のことなど
わかっていなかった。
何も理解できていなかった。
自分を犠牲にして
人のために何かをすることで
いい人として頑張っていたら
自分が幸せじゃなくなっていた。。
そう気づいたことで
自分の土台が
根底から崩れるような
感覚になったのです。
でも
今振り返ると
あれだけ
跡形もないほどに土台が崩れたと
感じられて
本当に良かったのです。
なぜなら
歪んだ土台を残して
上だけ綺麗に積み直しても
結局は
崩れてしまうからです。
自分自身のOSを
完全に入れ替えるつもりで
信じてきたことを疑い
真逆へと
ひっくり返していったおかげで
それまで
45度ぐらいしか見えていなかった
視界が
急速に100度、180度、240度と
開けていきました。
それほどまでに
自分の人生を変えたかった。
そして
自分を幸せにしたかった。
その強い想いが
私のことを
支え続けてくれた気がします![]()
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あれから
自分の人生に登場した
重要な人たちになってみる
ということを
してみました。
5歳のあの時の私を
見つめていた
お父さんは
何を思っていたのだろう?
高校1年の時の私を
ずっと監視していたお母さんは
何を感じていたのだろう?
大学3年生の時のお兄ちゃんは
私の言葉を聞いて
どう思っていたのだろう?
そうやって
一人一人の人になって
自分のことを見つめてみるのです。
すると
頭の中で
こっちの土俵に立って
想像していたのとは
まったく違う見え方になることが
わかってきました。
その人には
その人の
愛がある。
結局のところ
私は
生まれてからずっと
とても大切にされ
愛されてきて
それが変わることは
一度もなかったのだということが
肌感覚として
わかるようになり。
長い時間をかけて
(愛されたいのに愛されない私)
という
間違った思い込みによって
その役柄を演じていた
私のコントが
あっけなく終わりを告げる・・・
という体験を
させられました![]()
あの時
自分の
信じてきたことを
間違っていたんじゃないのか?と
ひたすら疑うことができて
本当に良かったです。
人によって
人生の岐路に立ったと感じる
対象は
違うとは思うけど
その人生の岐路は
あなたの人生を
彩り豊かで
幸せなものにするために
あったのだということを
実感できる時が
必ず来ると思うのです![]()
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*****
今日は


あなたの人生が
ますます輝きますように![]()
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今日もこのブログを読んでくださって
ありがとうございました

鳥居ミコ
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