アネモネの花が好きな

心理セラピストの 鳥居 ミコ です黄色い花




幼いころから
私の中にある感覚

「特別」




それは
ずっと母が言っていた
言葉だから

私の内側から
湧き出ているものかどうか
わかりません




もの心ついた時にはもう

「人と同じことをしては
いけません」

「あなたは特別なのだから」

そう言われていて



みんなが同じ制服を着る
中学校では

ひとりだけ
制服ではない
金ボタンの紺のスーツを
着せられていました



その他にも
ランドセル、カバン、靴、筆箱、etc.

みんなと違うものを
たくさん
身につけて
通学していました




あれで
いじめられない訳がない叫び




特別であることの
一体なにが
いいのかな?


それが
さっぱり分からなかった私は

特別の真逆の

「平凡」「普通」

に憧れて
大人になりました




特別であることに
バツをつけて

特別であることに
意義を見いだそうとする人に
バツをつけて



ひたすら

個  から  全体の中に
沈むように

みんなの中で
目立たないように
し続けていたのは



目立つと叩かれるから

というだけでなく

母が特別を求めたから

という
反発心も加わり


それはそれは
自分を抑えていたと
思います



(私に個性らしい個性はない)

(私はすごい普通)


念仏のように
そんなことを
言ったり思ったりしていました



(よく言うわ 爆笑






だから

2年ちょっと前の


いい人を演じ続けて
自分をないがしろに
してきたことや

自分が大嫌いだったことに
気づいた瞬間から


抑えつけてきた
自分自身の
解放


が    

私にとっての
最優先の課題になったんです





あれから2年



私は

本当に
勢いよく

自分自身を解放してきました




その中で

目立っていないつもりなのは
自分だけだったことに
気づいたり

自分の個性が
ダダ漏れだったことに
気づいたり

いい人じゃない自分も
バレバレだったと
気づいたりしながら


等身大の自分に
戻る旅をしましたキラキラ





そして最近

ようやく私は

特別であろうとしなくても

ただ  
ここに存在しているだけで

特別なのだと
思えるようになりました





周りと違う服なんか
着なくていい


誰も持っていないような
レアなものなんか
持たなくていい


奇抜な格好も
しなくていい


すごいことなんか
しなくていい




私が私であること


私が私として存在していること



それが
もうすでに 
特別  なことで
唯一無二  なことキラキラ




そう思えるようになったら

なんだか
親離れが終わったようで

ちょっぴり切なくなりましたキラキラ




お母さん

ありがとうキラキラ





今日もこのブログを読んでくださって

ありがとうございましたラブラブラブラブ


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おわり  パンダ