昼間
消化設備点検があったので

久しぶりに全部の部屋の
窓を開けて

風を通して
ベランダの植物の手入れをして
太陽を浴びました

昨日京都で
とも先生のカタヨガを受けました

今回の
「手放す」というテーマについて
色んなことを感じたり考えたり
しました

そんな中
ふと亡き母への
色んな思いが蘇りました

その時々
一生懸命に私と向き合い
試行錯誤してくれたと思います

でも私は
母に対して
社会人になってから
本当によく怒っていました


そばにいれば
いつまでも子供扱いで
四六時中ダメ出しをするし

第三者が私を誉めると
人前でこき下ろすような
ことを言うし

いつも説教モードだし
お酒は飲み過ぎるし
言うことはキツイし
お金使いは荒いし

私から見ると
(酷い人)
にしか見えませんでした

だから私は
いちいち反応して
いちいち怒って

もっとこうすれば素直になれるのに
もっとこう言えば愛情が伝わるのに
もっとああすべき
もっとこうすべき

…そんな価値観を振り回して
母にぶつけたりしました

どれだけ母に
愛されたかったのか
どれだけ
愛されていると
感じたかったのか

振り返ると痛々しいほど
私の思いは切実だった
気がします

でも母には母なりの愛情があり
愛情の表し方や伝え方は
分かりにくくても
精一杯やっていたはずです

母という人は
お説教が好きで
お酒が好きで
歯に衣着せぬ言い方が好きで
お金を楽しむために使う人で

ただそうだったに過ぎないのに

母に否定された気がした腹いせに
母のすることにバツをつけて
怒っていた私は

母を私の望む人に
変えたいと…変えようと
ムキになっていたと思います

母のやり方を認めず
受け入れず
愛情を受け取らず
抵抗しながら
私の思いを分かってくれと
長いこと押し付けようと
していました

そんな母が
病気と闘うことになった時

泣いて気弱になった母を前に
気づいたら
私は自分を分かって欲しいとは
微塵も思わなくなっていました

母が一日でも長く生きられるため
母がまた笑えるため
母が再び自宅に帰れるため
何ができるのか…

それしか意識になくなって
いました

能う限り
病院や実家を往復していました

母への長年の怒りは
手放そう…なんて思う余地もなく
手放されていた気がしました

あれやこれや
頭の中で考えられていた
私の怒りの
原因やら記憶やらは
もともと存在すらしなかったかの
ように
ほとんど消えていました

そして
生まれて初めて
母から様々なことを
誉められ自慢されるという
奇跡のような三年間を
過ごすことになりましたチューリップピンク


昨日とも先生が言っていたこと…

「手放したいものが”考え”だと
気付けば手放す必要もなくなる」

…その意味が
母との最後の日々を
振り返ってみて
なんとなく
腑に落ちた気がしますチューリップピンク



そう言えば
Beトレでぢんさんが

次のステージに行く時って

これまで大事にしてきたものや
こだわってきたものを手放す時

…損する、辞める、捨てる、
見張らない、我を捨てる

そんなことができた時って
言っていたけど

母が病気になった時って
ぢんさんが言ってたことが
みんなその通りだったなぁと
思いましたクローバー


そして今
再びその時が目の前に
来ている気がしています

今夜
ずっと予感のあったことが
現実になったという連絡がきて
少し放心していますパンダチューリップピンク