昨日夕陽を見た同じ場所に
正午に行ってみたら
こんな景色でした

泣きたくなるような
美しい海と白い砂浜

しばし
腰掛けて
母を思い出していました

あまりに厳しくて
逃げ出したくて
三歳から三回も
家出した私ですが

生まれる前から
母体の中で暴れまくり
生まれた時には
首に
臍の緒が
三重に巻き付いていましたσ^_^;

母子ともにギリギリの状態の
お産だったと聞きました

よちよち歩きの頃から
家中の障子も襖も
みんな私がビリビリに
したそうです

お買い物に行けば
あれが欲しいと言って
地面に座り込み
地団駄踏んで
泣き叫ぶ

あれしなさいと
言われては
「いやっ!」

それ取ってと
言われては
「いやっ!」

生まれる前から
ずっとイヤイヤ期σ^_^;

こんな聞かん坊見たことない!
と呆れられていました

そんな私を
きっと母は
言う事を聞く子に
したかったんだと思います

私の将来を
憂いたのかもしれません

あの
並外れた厳しさと
滅多に聞く事のなさそうな
キツい言葉の数々は

まだ時折
私の中に
罪悪感や無価値感の
カケラを呼び覚まします

でも
今年になり
本当にそれが
激減しました

そして
日に日に
母にしてもらった
たくさんの事が
思い出されるように
なりました

小学一年生の時に
クラスの女の子が
交通事故に遭った時
私に押されたと嘘をつかれました

あの時
「この子は絶対にそんな事
していません!
目を見れば分かります!」
と警察や担任の先生に
言って守ってくれました

ピアノを習いたいと言ったら
習いに行かせてくれて

ピアニストになりたいと
言ったら
楽典、ソルフェージュ、
フルートにも
通わせてくれました

ピアノを弾けるという事の
ありがたさは
言葉にできないほどです

英会話にも通わせて
くれました

英検を受けてみたいと言ったら
受験のための教室に
行かせてくれました

中学の夏休みには
アメリカンスクールに
行かせてくれました

英語が話せることで
仕事に恵まれ
世界中あちこち旅に行って
友達を作ることができるように
なりました

高校受験の前の9月
ピアノを辞めて
普通高校に行きたいと
言ったら
それまで週に一日の塾に
行っていたのに
週に四日の
特訓コースに
通わせてくれました

友達は宝物だと
教えてくれたのも
母でした

誰が来ても
夜であっても
気さくに家に上げて
お茶やお菓子を出して
時には明け方まで
お喋りに
付き合ってくれました

だから
私の学生時代までの
友達は
みんな家に来た事があって
みんな母と仲良しでした

どんなに喧嘩しても
五分後には
切り替えて
お茶を飲みながら
何事もなかったかのように
お喋りに興じる事ができる
母のお陰で
ツライ事があっても
明るく過ごせました

夏休みに
都内のホテルの
レディースプランを利用して
一緒に泊まる楽しさを
教えてくれたのも
母です

読書の大切さを教えてくれたのも
母です

外見ではなく
心と精神を磨きなさいと
言い続けてくれたのも
母です


もっともっと
本当にたくさんの事を
母にしてもらって
教えてもらって

あの聞かん坊で
暴れん坊で
泣き虫だった私が
なんとか人様に
迷惑をかけない大人に
なれました

それなのに
拗ねていた私は
あたかも母に
自分を全否定されたかのような
印象を持ち
高校生の時から
母が病気になるまで
長い長い
反抗期のような
時間を過ごしてしまいました

その長い反抗期の中に
キラキラと輝く
優しい想い出が
ちょこちょこ
あったのだということを

泣きたくなるような
この海を見ていたら
しみじみ思い出しました😢

母の愛情は
本当に本当に
深く熱かったのだと
心から感謝しました。。

ありがとう。
お母さん。。