ケンカの元が「愛子様」
夫は単純に「お気に入りの愛子様を批判」された感じがして腹立っただけだと思う。
別にLGBTや反日について一過言あるわけではない。もしこのまま議論しても、お互いの土台が違っているので不毛な議論というわけだ
夫の評価の土台は⇒A家は酷い、みんな言っている、証言もある。愛子様がふさわしい、あの佇まいを見ればわかる。全てのメディアが評価している。
対して私は⇒その証言の根拠は何? 全てのメディアの右ならえそのものに不自然さを感じる。噂を信じ、表面だけで判断している可能性もある(自分自身)。
簡単に言えば、
私はメディアに疑問を感じ、
夫はメディアを信じている。
信じる根拠は、夫の評価するものがメディアの評価と一致するだからだ(左派除く)。もしくは洗脳済み?
例えば「大谷」。夫は大谷が大好き
『大谷が持ち上げられ、どのチャンネルも大谷だらけ!』は、夫にとって天国だったようで、始終テレビがついていた。
ある日夫が言った。
「最近嫌な夢を見る。悪い奴に狙われたり、騙されたり」
私「夢って、テレビや本なんかで気になっていることが別の形で現れることがあるよ」「水原の件で気になっていたんじゃない?」
夫「ああ、そうだ。水原の件で嫌な気持ちになっていた」
私「貴方は大谷ファンだから、大谷を自分のように感じてるんだと思うよ」
夫は素直に「そうか!」と納得した。
自分の好きな人、良いと思う人を褒められると嬉しくなる。自分を評価された感じになるのだろう。
その心理は、好きな羽生君を散々下げられた私からしたら簡単に理解できるし、だからこそ下げられた方の痛みもわかる。上げられっぱなしならわからない。
残念ながら、夫は自分と置き換えて他者の痛みを理解することはできない。いつだったか、メディア批判を大谷・羽生を並べて夫に話したら「非難されるのは羽生のやり方がまずいから」と言い、『大谷と羽生を一緒にしないでくれ』みたいな圧を感じたので、羽生君のことは言わなくなった(振らない案件追加)。
夫はこれまで羽生君に対し、少しは好意的であったのに、昨年大谷フィーバーから羽生君のことを話題に出すと顔が曇るようになった(私、些細な表情もわかるので)。言葉にわずかな嫌味も入る。そこから「夫は羽生嫌いになったんだな」と感じ、それ以降絶対言わないようにした。私の言うことよりメディアの言う方を信じるので、何を言っても無駄なのだ。
夫はASD的特性がある。知ることは好きだが、関連付けて考えることは苦手。夫に「私の気持ちわかって」と思うことは不毛なので、わかり合える同士で話をするのが最良と考え、今日も皆様のブログを見る