みなさん、こんにちは。

みこです。

 

今日は人が亡くなった後について書こうと思います。

 

私の父は五男坊の転勤族だったので、家に仏壇はありませんでした。

親戚の法事もあったのでしょうがよく覚えていません。

夫の父は結婚前に亡くなっていたので、義父の法事はしていましたが、自分(母と)が主体になって開くのは実父が亡くなってからで、昨年七回忌が終わったところです。

 

初七日から1週間おきに、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)・・・四十九日までお坊さんに拝みに来てもらいました。

 

人は亡くなると中陰(ちゅういん)と呼ばれる世界を旅するとされていて、それは来世の行き先を決めるための裁判が行われる世界なんだとか。

 

四十九日続くその旅路を冥途の旅と言って、亡くなった人は七日ごとに冥途の王様たちか生前に犯した罪を裁かれ、四十九日ではこれまでの裁判の結果をもとに泰山王が最終決定を言い渡す日で、天道、人間道、修羅同、畜生道、餓鬼道、地獄道のいずれかに生まれ変わるために旅立つとのこと。

 

それも父がなくなってから知りました。

 

地獄道なんて怖いですね。

 

私は、亡くなって身体を脱いだら天国のようなところにみんな行けると思っています。

 

みんなに「よく頑張ったね」と迎えられて、グループソウルの仲間のところへ・・・

と思っているのですが。

 

 

 

死ぬ前に走馬灯が見えると言いますが、死んだあとも自分のしてきたこと、一生分の振り返りはあると思っています。

 

というのも私は自分の過去世が見えることがありますが、今世でのすっかり忘れていたような過去も、あたかも今その時のように見えることがあるからです。

 

その時、本当は死んだ後の振り返りが今起こったんだと感じました。

 

 

 

父が亡くなってからは、時々ひゅんと会いに来てくれます。

「どこにいるの?」と聞くと、緑色だけがみえましたが(ただの緑色)、何も言いません。

 

死んだ人はなぜか自分のことを話していたり考えたりするとすぐわかるようで、夫に、父の法事のことで、ある人達のこと(遠い親戚)を泣きながら愚痴ったことがあったのですが、その日の夜「ええんじゃ」と言いに来てくれました。

 

その時ではなく、その日の夜。

 

父は生前も無口でしたし、その一言を言ってすぐにいなくなりました。

 

父がいいならいいよねと涙が出ました。

 

また、父の法事の時にたまたま台風で、親戚が岡山まで来ることができず、近くに住む家族だけの法事になったことがあったのですが、母は、「お父さん(父)が妹たち(伯母や叔母たち)はもう高齢で来るのも大変だから台風にしてあげたのかな」と言うと「台風なんか起こせるわけなかろうが」と言ってきました。

 

死んだら天候まで操れるわけではないらしい(笑)

 

そして、昨年の七回忌。

 

家族親戚が集まってくれました。

 

父はみんなが来てくれたことにお礼を言うかと思っていましたが、「思い出してくれて嬉しい」と言っていました。

 

法事は、亡き人を思い出す私たち生きている人のためと、亡くなった人にとっても思い出して集まってくれることに感謝する日なんだとその時思いました。

 

何も法事を盛大にしなくても、心の中であいさつするだけでもいいのだと思います。

 

だからお仏壇がおうちにあるのでしょうね。

 

 

 

 

 

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