【名古屋】おそくなりましたが【に絡めた真面目な話】 | みころぐ。

【名古屋】おそくなりましたが【に絡めた真面目な話】

サタプロお疲れさまでした!
想像以上にたくさんの方が来てくださってびっくり。ありがとうございました!
まさかこんな形でもう一度教壇に立つことになるとは思いませんでしたw
ライブはというと学園祭みたいな雰囲気があってちょっと懐かしくなってみたり。
いつも通りのコールと手拍子をどうもありがとう!
いつもと違う舞台だったけれど、自分の学生時代を思い出して楽しかった!

自分の高校時代はというとこういった大きなことはできなかったのですが。。。
文化祭は結構大きな規模のもので(生徒2000人以上のマンモス校だったものでwクラスは16組まであったり)、生徒達はなかなか楽しかったのではないかなと思うのです。
わたしはというと、放送委員会の仕事で全くと言って良い程遊べなかったので楽しかったかと聞かれると素直にYesとは言えない部分があるのですが・・・w
規模が大きすぎる故にオープニングセレモニーや文化ホールでのファッションショーは人数制限があって見られない人が多く、学校中のテレビに生中継をする必要があったのですが、その生中継をしていたのがわたし達だったのです。
そりゃー生では見られるけれど、生徒といえど中継スタッフだったので勿論遊べないしはしゃげないですからねw

そんな苦い思い出でもやっぱり良い経験だったとは思うし、
この放送委員会に入ったからこそ、同人活動をしている自分がいるわけで。
※わたしが同人活動を始めたのは、ここの同期の子に半ば罠にはめられた形でレコーディングに参加したから(笑)。だから活動を始めた当時は16 歳、高校2年生だったってわけです。彼女はわたしの人生を大きく変えてくれた人の1人ですね。本人にどう感謝の気持ちを伝えて良いかわからない程です。

ちょっとサタプロの流れもあって真面目な話でもしようかな。
長いので読む方は疲れちゃうかもしれないw

当時はまだ何も知らないような子どもで、やりたいことはあるのに力もお金も持っていなくてどうしたら良いかわからなかったり・・・。
今でこそわたしのことをたくさんの人が知ってくれていて、できないことに向かって行くわたしの努力をみんなが知っていてくれていて、たくさんの方が応援してくれていて。だから強くあれるわけで。
けれど、当然ですが最初からそうだったわけでは決してないんですよね。

当時のわたしはというとお金も知名度も実力も知識もなくて、おまけにあがり症で歌はおろか、人前に出ることすら大の苦手、というありさま。それでも人を楽しませる作品を作ることに魅了されて、何か出来ないかと始めたのがこの活動でした。

更に、今まで皆様にあんまりお話をしていなかったことがありまして。。。
家族ネタは結構日記には出していてほのぼのなイメージかもしれないのですが、実を言うとわたしの両親は結構厳しくてこういった活動には大反対なの です。進学も実は芸術系に進もうとしたところ猛反対。声活動のことを未成年のうちに知られてしまっては止められてしまう可能性が大いにありましたし、自分 の力でなんとかそれを突破する自信もなかったので、実は成人してある程度自分で責任を取れる能力をつけるまでこの活動のことは両親には内緒にしておりまし た。なので両親はわたしがテレビやアニサマに出演したり、商業のお仕事をしていることを一切知らなかったのです。相当最悪な娘ですよこれ!
両親にはほんっとに悪いことをしたなあと思っています。褒められたことではないのですが、わたしの意思を貫くにはこうするより他になかったという かなんというか(苦笑)。実際に両親にカミングアウトしたのはつい最近の話、社会人になる直前だったのですが、その時もまあ「この親不孝者が!!!!1」 と怒鳴られて「gya----( ´;゚;ё;゚;)」となったくらい。何ヶ月も何ヶ月もかけて自分が本気であることを伝えました。最終的には「これを自分の意志に反して取り上げられた ら、わたしは生きていながら死んだようなものなんだよ」と伝えたら諦めてくれました(笑)。本気であることをわかってくれたようで、今でも音楽活動に関し てはあまり良い顔はしてもらえませんが、徐々に受け入れてくれてはいるみたいで、特に問題もなく仲良くやっています。
ですから当時のわたしは、両親の理解が得られて活動できている人達が羨ましくて仕方がありませんでした。自分の力のなさも理解していて、両親がわ たしを思う故に反対していて、けれどわたしの意思はそれに反していて。両親を悲しませることをしたくなくて、それでも望みは捨てきれなくて。その葛藤の中 で何度涙を流したか知れません。
今までお話していなかった「Alternative ending」の本当の意味は、この部分が大きかった訳です。終わりは・・・欲を言えば全てを自分の手で選びたい、と。

そんな似非箱入り娘だったわたしですが、両親の教育方針はというと例えるなら炎を触ろうとしている子どもを止めないという感じ。炎が熱いことを身 を以て理解させるのです。良いものも悪いものも見せて、自分で何が良くて何が悪いのかを判断する力を身に付けさせるという感じでしたね。なのでPCや携帯 電話にフィルターがかけられたりした経験なんかもありませんし、門限が設けられたことなんかもありません。とまあ何かを制限されることはほぼなかったので すが(芸能系は収入の安定のなさから猛反対みたいです)、その代わりに必要以上に手を貸さない、自分の力で考えてどうにかしなさいよーって感じでしたw
だからわたしはここまで来られたのだろうなあ。
両親がそういう教育をわたしや妹弟にしてくれたことには感謝しています。
特にわたしは長女だったこともあって妹弟よりもその傾向が強いみたいです。
いやまあその教育のおかげでこんな親不孝娘ができあがったわけですが!w
そんなわたしの願いは、大きなステージに立って両親に自分のライブを見てもらうことです。

話を戻すと、つまりは生まれ持ったこの声以外は本当に何もないところからのスタートだった訳です。両親にこのことを言えなかったので、一番支えて欲しい人に支えてもらうことも叶わず・・・。幸いだったのは両親がわたしにピアノの経験を与えてくれていたことでした。
歌や人前に出ることが好きで活動を始めている人が大半な中、どちらも苦手からのスタートだったわたしは、例えばみんなが0からのスタートだとしたならば、-250くらいからのスタートだったかもしれませんね。
あんまりこういうことをお話ししなかったのは、何を言っても自分ができないことから逃げる言い訳にしかならなくて、どんな条件を与えられても力のある人ならできるよな、って思っていたからでした。
よくもまあこんだけ悪条件ばっかりが揃ったものだと我ながら感心しますw
もうここまでくるとわたしほんと天才なんじゃないかと。悪条件を揃える天才。

自分はこの通りで悪条件ばかりだったのですが、わたしが恵まれたのは人との出会いでした。素敵な人とたくさん出会えたし、そういった人たちに育ててもらえたことはわたしの自慢です。

当然ながらわたしはスーパーガールではありませんので辛い思いも人並みにはしてきましたし、挫折を知らないなんて言われてしまうこともあるのですが年齢の割には苦労もしてきたつもりでした。いやそんなこと言うと真面目に生きてきた人に怒られてしまうかもしれませんが。
高校生当時、わたし自身にそんなつもりはなくてもずっと当時のわたしよりも知名度も実力もある先輩達と比べられてしまって、努力が足りないと言わ れて傷ついたり落ち込むことが毎日のようにあって自分でもびっくりする程辛い思いをしたり、どうしてもその先輩達に憧れて、先輩達のようになりたくて、専 門的な勉強をしたくてもお金がかかってしまうので、学生のわたしにはそれすら難しかったり・・・。心ないことを言われてしまうとすぐに落ち込んでしまった りとまあスーパー情けなさすぎるみこさん(今は随分図太くなってしまって全くそんなことはないのでもう少し繊細さを取り戻したいところですがw)、要は陰 で泣いてばかりとだいぶかっこ悪いことこの上なかったのですが、それでも必死で何度も立ち上がりました。今は一番下っ端で先輩方の背中を追いかけているけ れど、いつかはわたしの背中も見てもらうのだ、と。
当時のわたしは、自分の意志を貫く為に、一生懸命に考えて行動して、精一杯のできることをして生きていたんですよね。
わたしは日々「明日死んでしまったとしても後悔のない生き方をしよう」ということを念頭においているのですが、これは高校生の頃に決めたことでした。
何もできなくて何も持っていなくて、何の力もなかった高校生のわたしですが、
それでも今にして思えば必死で生きて、全力で物事にぶつかって、
ある意味では保守的になってしまった今のわたしよりもずっと輝いていたなあと思います。

今回のサタプロ運営スタッフのみんなは当時のわたしと同じくらいで、
イベントを成功させる為に必死で頑張っている姿を見て、当時のわたしを思い出してしまう部分がありまして。と同時に、若いって本当に良いなあと思わせてくれました。
多分当時のわたしと同じように、今、彼らは全力疾走の最中なのだと。
そんな彼らがわたしたちに全力でぶつかってきてくれて、わたしたちが喜ぶ演出をたくさん考えてくれて、全力でステージを作ってくれたことがわたしは何よりも嬉しかったのです。
運営スタッフのみんな、本当にどうもありがとう。

そんなわけで延々と自分の話ばかりしたのですが、これってちょっと会場で触れたことでして。
例え悪条件ばっかり揃っていても夢を諦める必要はない、って言ったのはこういうことでした。若い人たちには是非、どんな障害があっても望みや夢を諦めないで全力で向かって行って欲しいなあっていうことを伝えたくて。
例えわたしのようにマイナスからのスタートでも、それを挽回することは自分の努力と考え次第で十分に可能なわけで。それは高校生の頃、泣いてばか りいて何も出来なかったかっこ悪すぎるわたしが、今となってはたくさんの人に支えて頂けていて、強くいられることで実証できたんじゃないかなあと思ってい ます。

笑顔の数が人一倍な人は、涙の数も人一倍です。
失敗や傷つくことを恐れず、是非全力で立ち向かってください。
たくさん泣いて、必死になって、落ち込んで、立ち上がって、
そして、輝いてください。全ての経験は一生の宝物になります。

勿論わたし自身も、この結果に満足することなく輝き続けていくつもりですよ!


長くなってしまいましたが最後に質問を頂いていたのでそれに答えようかなあと。
わたしの人生で最大の失敗はなんですか、という質問でした。

これは、自分の楽曲がたくさんの方に聞いて頂けてヒットした時に、
少しでも「わたしってすごいじゃん!」と思い、得意になったことです。
前述のように、それまで辛い思いをしてきたので本音を言えば見返したくって、
わたしはここまで大きくなったんだぞ、と大きな顔をしたかったんですよね。
けれどそれってわたしがすごいわけでは決してなくって、曲や歌詞、PVを作ってくれた人や運営をしてくれているスタッフさん達、MADや踊りなどなどを作ってくれて、盛り上がってくれた人たちがいたからこそで。それを歌わせて頂けただけの話なわけです。
わたしはヴォーカルですから、一番スポットライトの当たる部分を、わたしよりも苦労をしている他の制作者の方から持って行ってしまいます。けれどその裏方の人たちの存在があるからこそわたしがそこに立たせてもらえるわけで。
一瞬でもそのことを忘れて自分の力を過信したことは本当に人として最低で、一生の恥だと思っています。


そんなところかなあ。なんかそんなつもりなかったのに結果的に不幸自慢みたいになっちゃったな、なんか嫌だなそれはwwww
当時はまあ人が羨ましいと思うことばかりでしたが、今はわたしって最高に幸せじゃないか、と思うので全然不幸でもなんでもないのですが!長くなっちゃってごめんねえ。
今回のサタプロでそんなことを思ったり伝えたかったりとかして。
非常に素敵な機会を頂けました。スタッフのみんな、来てくださったみんな、遠方から出没しちゃう強者のみんな(笑)、本当にありがとう。


あぁーもうこんな時間かよ!明日北海道行ってレコなのに!
みこさん語り屋だから延々とこういうこと書いちゃうんだよなあ・・・!
後で名古屋で撮ったみそかつの写真とか載せるねー。