2016/5/31 ⑬
横浜元町商店街には、「パン発祥の地」「目薬発祥の地」「貸自転車発祥の地」「西洋家具発祥の地」があります。
【パン発祥の地】
ウチキパンに行くと必ず買ってくるイングランド
イングランドとは、創業から127年間作り続けられているホップ種から作った伝統のイギリスパンで、高さ18cmの大きな食パンで、値段も手頃でとっても美味しいのです(^_^)v 日本で始めて、パンの製造を始めたのは日本人である。フランス軍艦ドルドーニュ号に乗り組みのコックから手ほどきを受け、日本の小麦粉で「ゆでだんご」のようなパンを焼きました。1860年、「お貸長屋」(現在の横浜開港資料館の辺り)で、「パンのような焼饅頭のようなものパン」を焼き、「和風パン屋」として開業します。その日本人が内海兵吉であると言われています。
1861年(文久元年)にアメリカ人グッドマンが横浜にベーカリーを開業します。11月グッドマンの家が全焼し、翌年2月に「横浜最初のヨーロッパ風パン屋」を新規開店する。1864年、グッドマンは一時日本を離れるので、その間、イギリス人のロバートクラークに店を任せました。グッドマンは1865年に再び来日し、営業を再開しています。
1865年(慶応元年)8月、ロバートクラークは横浜で「横浜ベイカリー」を開き、35年パンを焼き続けました。その後、「横浜ベイカリー」は色々な説がありますが、1875年(明治8年)に打木彦太郎が継承したのであります。その後、宇千喜麺麭製作所と称し、そのパン屋が、元町にあり、今も営業している「ヨコハマベーカリーウチキ商店」であります。
このウチキパンの近くには、「目薬発祥の地」「貸自転車発祥の地」もあったようです。
【目薬発祥の地】
元治元年、岸田吟香(新聞記者・実業家)は「風眼」という眼病に苦しんでいたところ、ヘボン博士(ヘボン式ローマ字の創始者・医師)の治療を受けました。それがきっかけとなり、ヘボンが手掛けていた和英語林集成の編纂を手伝うことになりました。1866年(慶応2年)岸田はヘボンから伝授された「精錡水」の販売を横浜で始め、それが日本初の西洋目薬となりました。明治10年には新聞社を退職し、銀座で楽善屋を開き、売薬業に専念しました。目薬は国内だけではなく、中国各地でも売り出されました。岸田は盲人教育への関心も強く、明治8年に津田仙・中村正直らと「楽善会」を設立、明治13年には東京築地に日本初となる楽善会訓盲院(現筑波大学附属盲学校)を創設しました。
【貸自転車発祥の地】
1877年の横浜元町の三丁目で石川孫右衛門が日本人初の貸自転車業を開業しました。
貸自転車業を始めるまでの経緯としては、1877年に孫右衛門が居留地31番地のチリドル商会を通りかかったときに館主チリドルが自転車に乗っているのを見かけました。乗り方をチリドルに教わり、このとき孫右衛門は自転車を時間貸しにすれば大いに
儲けることができると考え、チリドル商会に自転車を注文しました。この当時の自転車は借りるのにも高値で1時間25銭(当時は鰻重は20銭ほど)にもかかわらず貸自転車は不足するほど大繁盛でした。孫右衛門も「仏蘭西商館」から1887年に自転車を20台購入し貸し出しを始めたところ大好評でした。また、孫右衛門は住吉町6丁目に石川商会を設立し、1912年まで営業していました。
【西洋家具発祥の地】
今から約140年程前に横浜で日本人の手によって西洋家具を製造する技術文化が咲き始める。その始まりは、徳川幕府開国後の横浜にまで遡り、それまでの横浜には外国人の
暮らしに適った家具が一つも存在しなかった。
1863年(文久3年)に英国人のゴールマンが横浜に住む馬具職人の原安造に椅子の修理を依頼したところゴールマンはその出来栄えに感心して、本格的な洋家具の製作を依頼した。これが横浜から文明開化された西洋家具への始まりである。
この優れた伝統を今も継承しているのがダニエルの洋家具で日本最初として伝統に
極めて忠実に造ってる。また、これらの製法で作られた家具を「横浜クラシック家具」と言い、山下公園近くに建つ「ホテル・ニューグランド」では、昭和初期に製作された家具を現在も目にすることができる。ダニエルという名称は誰もが忘れず、親しみの持てるブランドとして命名され、今も人々に愛されつづけている。ゴールマンから伝統を受け継ぎ、ダニエルを創業したのが、咲寿武道と高橋保一の二人。
このダニエルは、先人の伝統技術を大切に守り続け、今も元町商店街に立派なショールームを構えている。
(タイムスリップよこはまより)
5月31日の「横浜発祥の地」巡りはここまでですが、この後も、まだまだ続きます。