〈碑文〉
日本庭球發祥之地
昭和五十三年十月 安部民雄書
山手公園は1870年(明治3年)横浜の居留地外国人のレクリエーションの場としてつくられた。1878年レディース・ローン・テニス・アンド・クロッケークラブ、現在の横浜インターナショナルテニスクラブがこの地に5面のテニスコートを建設した。
この地は日本のテニス発祥の地とされている。
昭和53年10月15日 横浜インターナショナルテニスクラブ
【日本最初の洋式公園の碑】
山手公園は、1870 (明治3) 年に居留外国人によってつくられた日本初の洋式公園。以来、80年間外国人専用の公園として使われ、戦後は横浜市民のスポーツと憩いの場として歩んできました。ヒマラヤスギもここに初めて植えられ、全国に広まった。国の名勝指定。
〈碑文〉
YAMATE PARK 20th ANNIVERSARY
山手公園は我が国初の洋式公園として明治3年(1870年)5月6目に開設されました。
ここに120周年を記念いたします。
平成2年6月 横浜市長 高秀秀信
〈説明板〉
横浜市地域史跡
日本最初の洋式公園(山手公園)
登録年月日 平成八年十一月五日
所在地 中区山手町二三〇番地
所有者 横浜市
登録区域 中区山手町二三〇番地の一部
横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を望む声があり、慶応三年(一八六六)に外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」(慶応約書)によって、その要求が幕府に認められました。しかし、この中の公園計画は具現化しないで終わりました。
明治二年(一八六九)には居留民代表から改めて要求が出されたのに対して、日本政府は山手妙光寺付近の土地約六千坪を、慶応約書で約束した土地の代替地として貸与しました。公園の造成は居留民が行い、明治三年五月六日(一八七〇年六月四日)に開園したのが山手公園です。
明治十一年(一八七八)からは、居留外国人女性で組織される横浜レディズ・ローン・テニス・アンド・クロッケー・クラブ(横浜婦女弄鞠(ろうきゅう)社)が管理することとなり、クラブハウスとコートがここに設けられました。
横浜市教育委員会








