日本橋から品川駅を過ぎるあたりまでは、国道15号線を西に真っ直ぐ歩くので迷う事はありませんが、何かと誘惑の多い道すがら、お店にフラフラっと吸い込まれてしまう私なのでした(笑)

西郷隆盛勝海舟会見の地碑

この地で西郷隆盛と勝海舟が江戸100万の市民を戦火から守るため「江戸無血開城」を取り決めた。


1710年(宝永7)、東海道から江戸府内への入口として設けられた大木戸の跡。
木戸は初め札の辻に設けられたが、現在地に移転し、高札場と大木戸が設けられた。木戸の両脇に長さ5間、幅4間、高さ1丈の石垣があり、間に柵と門が設営されていた。この場所は幕末期に伊能忠敬が全国測量の基点とした。

泉岳寺


東京都港区高輪にある曹洞宗の寺。山号は万松山。開創は慶長17年(1612)、開山は門庵宗関、開基は徳川家康。寛永18年(1641)外桜田から現在地に移転。曹洞宗の江戸三か寺の一。あの忠臣蔵の浅野長矩および赤穂義士の墓がある。

これは向かって左隣に8階建てのマンションが建つとかで反対運動が起きていると、先日テレビでもこの問題をとりあげていました。

品川駅を過ぎたところにある八ツ山橋交差点から左に逸れ、JRの線路を見下ろしながら八ツ山橋を渡ります。



京急線の踏切を渡ると旧東海道、品川宿になります。

問答河岸跡の碑


品川宿の街並み

確か、この辺りに鯨塚が…
16年前に歩いた時はこんな公園無かったけど。


この鯨塚は、寛政十年(1798)5月1日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑である。鯨の体長は九間一尺(約16.5m)高さ六尺八寸(約2m)の大鯨で、江戸中の評判となった。ついには十一代将軍家斉が浜御殿で上覧するという騒ぎになった。
東京に現存する唯一の鯨塚である。



日本橋より二里。


品川宿本陣跡




青物横丁駅、今回はここまで。
東京に現存する唯一の鯨塚である。

記憶では、これがぽつんとあって、薄汚れた説明板があっただけだったような?
利田神社

鯨塚の隣にある利田神社は、寛永三年(1626)に、東海寺の沢庵和尚が弁財天を勧請したのが始まりとされる。
洲崎弁天ともいわれ浮世絵師歌川広重の名所江戸百景の一つにも描かれている。
洲崎弁天ともいわれ浮世絵師歌川広重の名所江戸百景の一つにも描かれている。


一心寺


荏原神社と鎮守橋


江戸六地蔵の一つの地蔵尊像と品川寺

これで、私の東海道五十三次、日本橋から宮宿までが繋がりました。


私がムサママさん達の東海道五十三次歩きに加わった思い出の駅でもあります。
あの改札口から、ムサママさんとちーちゃんが現れて。
初めて会う心臓のドキドキと、あの時のムサママさんとちーちゃんの優しい笑顔が、昨日の事のように思い出されました(^ ^)
あれから3年、もうすぐゴールです。
日本橋から青物横丁までは、おおよそ10Kmなのですが、あちこち寄り道していたので、この日の万歩計は、約29400歩、14.7Kmになってました。
ムサママさんの日本橋から青物横丁までの記事です。
とても詳しくレポートされてますので、是非そちらをご覧ください。