ファシリテーター&教育コンサルタントのみきてぃです

 

連日暑いですね晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ

そんな中、「滝行」を体験してきました。

滝行の話は次回書くことにして

その時にご一緒した方と話をしていて思い出した住職さんの話を・・・

 

山形には「最上三十三観音」というのがあり、一番札所は若松観音:わかまつかんのん(若松寺:じゃくしょうじ)

山形県天童市の東側にあります。学区に勤務していたこともあり何度か参拝したことがあります。

長女さんの安産祈願もここ。

そしてここの住職と握手をすると良縁に恵まれるとのことで縁結びのパワースポットにもなっています

 

二番札所は山寺にある観音堂(千手観世音菩薩)

と続くのですが

 

??

三三番ってどこだっけ?

 

滝行をご一緒したかたから

 

「庭月観音」

と聞き、私が初任で勤務した学校の祖父母学級にての住職の話を思い出した次第です。

 

因みに庭月観音は山形県鮭川村にあります。昔は俳句大会などをやっていた記憶も・・・

 

 

肝心な住職のはなしですが・・・

 

おふくろの味

今は(三〇年ほど前)スーパーのお惣菜などが豊かになってきて

働いているお母さんたちが増えてきて

スーパーなどで買ってくることが多くなったわけです

そうすると

 

ふくろの味

 

になる

 

でその「お」はどこに行ったかというと

しつけの上にくっついて

 

「おしつけ」

に。

 

しつけは本来人として生きていくために大切なことのはずが

親やじいちゃん、ばーちゃんからの「おしつけ」になってきてる

 

とこんな話でした

 

おふくろの味

というのも今の時代ではジェンダーだとか言われそうですが

今はその議論はさておき

今から約30年前の住職の話。

 

コンビニがメジャーになり

外食やお惣菜も豊富になり

いわゆる「ふくろのあじ」はますます増えました。

私も利用しました。

 

袋の味になっても

それが一緒に食べて

良い時間になればそれはそれでよいわけかもしれません。

 

でも、はずれた「お」が

「おしつけ」

になってはいけないと思うのです。

 

当時と様々な状況は変わっていてすべて同じにならなくても

大事なことが含まれていたなあと思うのです。

 

 

村山市甑岳からの景色。遠くに山形霞城セントラル