みなさま、こんばんわ🌜
今日の大阪はちょっと暖かかったです😄
肥後橋
今日は久しぶりに、大阪の肥後橋までやって来ました。
大阪中之島美術館
目的地は、大阪中之島美術館🙂
1月のテート美術館展以来です😊️
▼ テート美術館展の記事はコチラ
モネ展
本日のお目当ては、モネ展❗
私はまもなく鹿児島に移住する身ですが、モネを見ずして鹿児島には行けません❗
音声ガイドの機器を600円でレンタルして、いざ入場です❗
サン=タドレスの海岸
何枚目かの絵で、「サン=タドレスの海岸」という絵を見た時でした。
絵から19世紀フランスの重い空気が流れてきて、顔に当たるのを感じました❗
波の音が聞こえてきて、潮の香りを感じました。
この絵は1864年に描かれたものですが、絵の中に当時の空気が保存されているような気がしました。
精緻な絵筆のタッチ
この絵は、1882年に描かれた「ヴァランジュヴィルの漁師小屋」という絵です。
モネが42歳の時の作品です。
右手前の草地と、左真ん中の草地、海が、それぞれタッチを変えて描き分けられていて、より一層構図が際立って見えました。
モネというと大胆なタッチが有名ですが、精緻なタッチの絵もたくさん描いていたんですね😊️
優れた総合芸術家
こちらは、1884年に描かれた「ジヴェルニーの積みわら」という絵です。
積みわらの奥にポプラ並木が見えますが、並木の奥にエプト川が流れています。
このポプラ並木、どこかで見たような❓🤔
2024年1月に、大阪に巡回したテート美術館展で見た「エプト川のポプラ並木」(1891年)👆👆👆
このポプラ並木とよく似ていますね❗
同じ場所かはわかりませんが、似たようなポプラ並木がモネの絵にたくさん登場することから、モネは身近な題材を様々な角度から描いていたことがわかります。
モネは様々な題材やシーンを時間や季節を変えて描き、展覧会でそれらを同じ部屋に展示することで、作品同士が相乗効果を生み出し、何とも言えない没入感を作り出したとされています。
モネは優れた画家であるだけでなく、素晴らしい総合芸術家でもあったんですね😊️
写真撮影OKの作品
ではここからは、私がデジカメで撮影した写真撮影OKな作品について見ていきましょう❗
「ウォータールー橋、曇り」1900年 ロンドン
この絵は、モネがロンドンに留学中だった次男のミシェルを訪ねた時に描かれた絵です。
ロンドンが霧に煙っています。
「ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ」1904年 ロンドン
同じ橋を時間を変えて描いています。
「ウォータールー橋、ロンドン、日没」1904年 ロンドン
3枚の絵はちょっとずつ対象がずれています。
展覧会に3枚セットで出品すると、作品同士が共鳴し合って、モネワールドが全開になる仕掛けなのです😊️
「芍薬」1887年 ジヴェルニー
この絵は、ジヴェルニーのモネの自宅の庭で描かれました。
モネは若い頃、フランス中や国外を旅して、様々な風景を描きました。
晩年、モネは郊外に広大な自宅を購入し、自宅の敷地内に花の庭や睡蓮の庭を造設しました。
庭があることで、旅をせずとも自宅内で仕事ができるようになったのです。
年齢や体力に応じて作業環境を整えたからこそ、生涯現役でいられたのですね😊️
「睡蓮」1897~98年頃 ジヴェルニー
こちらはモネの「睡蓮」の初期の作品です。
水面に写り込んでいる風景が描かれていないし、睡蓮にフォーカスしています。
それでも味わいがありますね。
「睡蓮の池」1907年 ジヴェルニー
めちゃくちゃ有名なモネの「睡蓮」の絵です。
夕暮れの空と柳が、水面に写り込んでいます。
実物が見れてハッピーです😄
「睡蓮」1914~17年頃 ジヴェルニー
こちらの作品は、1914~1917年にかけて描かれた「睡蓮」です。
ちょっと異様な雰囲気ですが、それもそのはず。
モネは1904年頃から白内障が進行し、この頃にはその症状に苦しんでいました。
現在ならば、白内障の手術は日帰りで受けることができますが、100年前のフランスにはそのような技術はなかったので、モネは白内障に耐えるほかありませんでした。
「睡蓮、柳の反映」1916~19年頃 ジヴェルニー
こちらは、更に2年後に描かれた作品。
画面全体が黒っぽくて、白内障が一段と進行しているのがわかります。
「睡蓮の池」1918年頃 ジヴェルニー
空と柳の木が水面に写り込んでいるキレイな絵です。
光の輝きと穏やかな睡蓮の雰囲気から、眺めているだけで、この世にいながらにして天国に行けそうです😊️
モネが白内障の手術を受けるのが1923年なので、この頃はまだ良く見えていなかったと思われます。
「藤の習作」1919~20年頃 ジヴェルニー
この藤の絵は習作ですが、少し黄味がかってみえます。
光の加減はさすがに見事ですが、白内障による視力低下の影響もあって、作品作りは難しかったのかもしれません。
モネの最後の作品
この絵は、1925年に描かれた「薔薇の中の家」という作品です。
未完ともされており、モネの死後、アトリエから発見されました。
モネは1923年に、3回におよぶ眼科の手術を受け、視力が少し回復していました。
絵が少し明るさを取り戻しているように見えます。
この絵を描いたとき、モネは85歳。
死去の前年でした。
モネは10代で絵を描き始め、85歳まで絵を描き続けました。
「私は85歳まで精一杯働いたのだから、あなたも頑張りなさい。」と、モネに励まされたような気がしました。
美術鑑賞を終えて
モネ展の鑑賞を終えて美術館の外に出ると、夕方になっていました。
私はこれから鹿児島に移住するので、大阪中之島美術館に来るのはこれが最後です。
鹿児島には伝統的に展覧会の巡回はないので、印象派の絵画も見納めとなります。
何とも言えず、寂しい気持ちです・・・😢
もうすぐ大阪ともお別れ。
さらば大阪。
大阪に生まれて良かったです😊️
最後までお読みいただき、ありがとうございました😄
また来てね~😄👋