PL処世訓第17条「中心を把握せよ」 | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

 ※文中〝 〟内は二代教祖のお言葉です。

1.目的のある生き方を

(1)人生の目的
 〝「中心を把握せよ」
  このPL処世訓第17条は、常に自分の生活態度をこのように持していけということを教えられたものであります。常に中心を把握した生活をせよということであります。〟
 〝ある一時期にはなにか目的をもち、それに向かって努力もし、勉強をするという人はあります。一時は自分の目的に向かって邁進する人の姿もみられます。しかし、結局たいていの人がその時期だけですんでしまうのです。これはまだ根底から中心を掴んでいないということであります。自己の人生に対してはっきりした目的を持たず、中心のないままに、人生芸術をしているのであり、物事の中心が分からないままに社会生活をしているのであります。これはまことにあわれであり、頼りない生活というべきであります。〟
 「人生は芸術である、楽しかるべきである」と説く二代教祖は、「中心」とはまず何よりも人生の「目的」のことであることを強調されます。「目的を持たず、中心のないまま」の人生芸術では楽しい人生になりません。
 次に、「物事の中心が分からないまま」の社会生活に言及されているのです。
 そして「目的(中心)のない人の人生芸術」と「物事の中心を理解していない人の社会生活」は「あわれ」で「頼りない生活」になってしまうというのです。
(2)物事の中心
 「物事の中心」について、二代教祖は次のように説いています。
 〝本来、この世の中におけるあらゆる存在——家庭・社会・民族・国家、その他あらゆる集団、一切の物事・事柄——には、すべて中心があるのであります。中心はそのものの生命であり、人は中心を把握し、この中心に趨向(すうこう)する動物として生まれているのであります。〟
 趨向(すうこう)は「物事が、ある方向に進んでいくこと」です。あらゆるものには中心があり、人は中心を把握し、中心を指向しようとする存在だと二代教祖は説いています。

2.中心と多様性

(1)中心と周辺
 中心の反対は周辺とか枝葉末節ということになります。英語でcentral(セントラル、中心の)の反対語はmarginal(マージナル、周辺の)ですが、「マージナルなもの」、「マージナルであること」の重要性を見直してみようというのが現代的な考え方の一つの特徴となっています。
 それは近代のものの考え方が「中心」をあくまでも重要視して、いろいろな意味で「周辺」が切り捨てられたことに対する反省でもあるのです。近代国家は中央集権的で、言葉は標準語に統一され、地方(周辺)の方言や少数民族の言語は無視されがちになり、文化的にも中央集権的・画一的になって、少数民族の文化は軽視・無視されるなど文化の多様性が失われることになりがちでした。
(2)中心と多様性
 「周辺」が大切なのは、「中心」が支配的なものとして厳然と存在しているからです。「中心」が大切であることとは別の次元で「多様性」(ダイバーシティー)がもう一つの大切な価値として強調されるようになってきています。文化の多様性、生物の「種」の多様性、生態系の多様性……等々。多様性は人類の存続、持続可能性(サスティナビリティ)にとって必須のものです。「多様性」は「周辺」に通ずるところがあります。
 大切な「中心」と「多様性」が両立する場合はよいのですが、時に両立しない局面が現れます。そのような状況に陥ったとき、両者の「調和とバランス」を図る必要がでてきます。要は両極端に走らないことです。
 音楽でも協和音だけでなく、不協和音があってはじめてよりよいものになるのです。「不協和音? 大いに結構です!」という二代教祖の言葉が忘れられません。なぜかというと、それによって、マンネリズムに陥って、独創性や新鮮さを失ってしまうことを避けることができるからです。そのような芸術をすることによって、より大きな「調和とバランス」が生まれてくるのです。

3.「人生は芸術である」と「中心」

(1)中心を把握した芸術
 私たちが「中心」とは何か? を考えるとき、それは当然に〝人生は芸術である、楽しかるべきである〟との二代教祖の悟りの視点、視座からのものになります。
 この世に現れたすべての森羅万象、つまり神業(かんわざ)を素材として〝芸術する〟、〝自己表現する〟ことが私たちの本性であり本質です。ですから、「中心を把握せよ」とは、私たちが芸術するその都度その都度の「素材」の「中心を把握せよ」ということです。
(2)目的と手段
 問題を解決しようとするとき、目的と手段を取り違えてはいけません。手段を目的そのもののように錯覚してはならないのです。中心である目的をいつも明確に把握していなければならず、手段に振り回されてはなりません。手段はあくまで目的のための手段で、目的あっての手段です。
 目的が達成されたり、目的が消滅したりすれば、そのための手段は存在理由を失い、不要になります。ところが、存在理由がなくなったにもかかわらず、手段であったにすぎないものが、あたかも目的それ自身であるかのごとくその後も存在し続けることが世の中では少なからずあるものです。その手段の存在、存続自体に利益を感ずる人々が出てきているからです。ニセモノの「中心」があたかもほんとうの「中心」のようになってしまいます。これでは、「中心を把握せよ」の教えを守ることの意味がなくなってしまいます。
(3)戦略と戦術
 戦争においては、戦略と戦術をうまく組み合わせることが勝利を得るために必須の、大切なことです。しかし、戦略と戦術を混同してはならないのです。
 戦略はその戦争の目的と密接に結びつくもので、その戦争における勝利とはそもそも何か?であり、その勝利を得るための基本的な戦い方のことです。戦略なき戦争は負け戦(いくさ)にならざるを得ません。
 戦術はその戦争における戦略に基づいて、個別の戦闘でいかに勝利するかの作戦のことです。
 戦略と戦術の関係で重要なことは「戦略の誤りを戦術で取り戻すことはできない」ということです。戦略を誤った場合には、個別の戦闘でいくら勝利しても、その戦争に勝つことはできません。99回勝っても1回負けたらおしまいになりかねません。逆に戦略が正しければ、99回敗けても1回勝てばそれまでの負けが消えてしまうことにもなるのです。
 戦略が目的で戦術はあくまでそれに付随する手段です。
(4)優先順位
 中心を把握することは、優先順位を間違えないことでもあります。物事には重要なものとそれほどでもないものがあります。必須の重要なことを差しおいて、ないよりはあった方がよいといった程度のことを優先させると、すべてがチグハグになってしまい、事が思いどおりに運ばなくなります。
 優先順位を間違えない、中心を取り違えないためには射程を遠く、視点・視座を高くすることです。目先の利害にとらわれるのではなく、大局的に物事を捉える、虫の眼だけでなく鳥の眼をも持って物事を凝視するのです。

4.感動の中心

(1)短歌とPLの教え
 〝短歌が分からないとこの教えは分からない〟と二代教祖はよく言われたものです。初代教祖以来の「この教え」の文化であり伝統でもあるのです。
 〝短歌では一首一感と申します。短歌を作る時は、まず感動の中心を把握して、その中心をクローズアップし、その他のことはあまり言わないようにする——というのが、作歌技法の一つに挙げられております。 


  わずか三十一文字で歌を作るのですから、あれもいい、これもいいでは、かえって中心がぼやけて、よい歌にはならないのです。いろいろ言いたいことがあっても、できるだけ省略するのです。なるべく道具立ては少ない方が、中心を中心たらしめることになります。
  吾はもや 安見児(やすみこ)得たり 皆人の 得がてにすとふ 安見児(やすみこ)得たり
  これは万葉集巻二にでてくる藤原鎌足の有名な歌であります。当時の宮中に仕えていた安見児という女性を妻にすることのできた喜びを歌にしたものです。安見児という女官はずいぶん綺麗な人だったのでしょう。当時の青年たちの誰もが求婚したのにかかわらず、誰一人として彼女を得ることができなかったという、その安見児を自分は妻にすることができたという歌です。その鎌足の喜びが三十一文字の歌の中にあふれているような感じが致します。
  「吾はもや 安見児(やすみこ)得たり 皆人の 得がてにすとふ 安見児(やすみこ)得たり」と歌って、安見児得たりを二度繰り返しております。うれしいというような言葉はありませんが、はっきり鎌足のうれしさが感じられます。それは安見児を得たという感動の中心をはっきり把握して歌っているからです。中心を把握した歌はたいてい良い歌になるのです。〟
 短歌を作り続けることにより、感動の中心を把握することに習熟するならば、人生すべてについてその中心を把握することができ、的確に行動できるに違いないのです。
 〝短歌が分からないとこの教えは分からない〟 とは、このような意味なのです。
(2)短歌から現代自由詩(「現代詩」)へ
 二代教祖は1950(昭和25)年頃から、短歌とともに現代詩を始められました。「現代詩」はイメージの構成によることから、イメージの造型である芸術を身に付けるには短歌よりもふさわしいと思われたのです。私は二代教祖から短歌ばかりでなく現代詩を極めるよう指導されました。
 それが『詩芸術』の発刊となり、『日本近代詩のリズム』の論文となりました。二代教祖から「詩のリズム」を研究し、文学博士を取得するよう言われ、着手したのですが、それが実現したのは、二代教祖が亡くなられた三年後のことでした。
(3)短歌的発想
 二代教祖は立教初期「客観の境地を把握するために短歌の勉強をする必要がある」と、幹部会の最後には必ず歌会を開いて指導していました。1951(昭和26)年頃には窪田空穂先生(1877〜1967)にお願いして『短歌芸術』の第一と第二の本欄の選をしていただいたり、時には幹部会に来ていただいて短歌に関する講義をしていただきました。
 私は短歌について二代教祖と空穂先生からご指導いただけたことを心から感謝申し上げています。
 短歌を作るとき心するよう言われたことは「対象をよく凝視せよ」ということです。対象に心を入れてよく凝視し、自分の感じた思いを短歌の形式である「5、7、5、7、7」に言葉を入れて表現するのです。
 短歌は「一首一感」です。一首でいいつくせないときは何首も作ることになります。
 感動の中心を把握するのに、短歌は「対象に心を入れる」というか、より直接的な手法です。対して、「現代詩」は「心に対象を入れる」、より間接的な手法と私は捉えています。
 「一般的に、対象に心を入れる」直接的な手法を私は短歌的発想と呼びたいと思います。そして「心に対象を入れる」間接的な手法を詩的発想と呼んでいます。
 短歌的発想で物事に対していますと、対象につきすぎて周辺を見失うことにもなりかねません。そのようにならないための目配りも日常生活では必要です。
(4)詩的発想
 二代教祖が「現代詩」に特別の関心を寄せられるようになったのは、1950(昭和25)年頃からでした。毎月の幹部会にときに詩人の長田恒雄先生(1902〜1977)を招かれ、「現代詩」の講義をしていただくようになりました。
 長田先生から「現代詩」について「詩はイメージの構成による美学である」「詩の場合は言葉自体が詩である」「言葉の歩行であってはならない、詩は言葉の舞踏である」……等々、講義をいただき二代教祖は「イメージの造型」ということを改めて深く認識されたのです。
 「現代詩」をつくる場合は、「心に対象を入れる」のです。対象を大枠で捉えて心に入れ、よく凝視し、中心を捉えてそれをいったんバラバラにして、自由にイメージで組み立て構成します。定まった形式はないので自由にリズミカルに構成し、一篇の詩とします。対象を入れることになる人の「心」は大きなものですから、イメージはいくらでも広がり、その対象をイメージに沿って自由に組み立て構成する、それがとても楽しいのです。出来上がった詩は声に出して何度でも読み返す必要があります。その間にいろいろ気付くこともあります。
 これが詩的発想です。
 詩的発想で物事に対しますと、対象を大きく捉えることができますので、目先のことばかりでなく、全体を見わたすことができるようになり、何を先にやるべきかも見えてくるものです。スケールが大きくなるといってもよいかと思います。
(5)ピカソと窪田空穂先生
 二代教祖は絵画においてもピカソ展とか日展など専門芸術鑑賞のため美術展によく行かれました。
 「日展は数が多いのとマンネリズムの作品が多く、丁寧に観る気がしなかった」と時に感想をもらしていました。
 窪田空穂先生は
「ピカソは多くの人の持っているものを一人で表現し、日展は一人か二人で表現すれば足りるところを多くの人が同じような表現をしている」と言っておられたそうです。二代教祖は「さすがに適評である」と言われていました。
 ピカソは対象を大枠で捉えて心の中に入れ、イメージで組み立て一枚の絵画として構成しています。
 スペイン、マドリードのプラド美術館でピカソの『ゲルニカ』(1937年作)を観ました時は本当に圧倒されました。大枠で捉えられた戦争の悲劇、戦争に対する怒りが大画面に展開され、観る人を圧倒するのです。
 これこそ中心を把握した見事なイメージの造型と申せましょう。