PL処世訓第11条「一切を神に依(よ)れ」 | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

 ※文中〝 〟内は二代教祖のお言葉です。

1.第11条と第3条

 PL処世訓における神についての具体的な教えは、この第11条「一切を神に依(よ)れ」と第3条「自己は神の表現である」です。
(1)「神の表現」と「神に依(よ)れ」
 第3条は自己、ひいては人と、神との関係がどうなっているのかを静的(スタティック)に捉えているものです。他方、第11条は人と神との関係を動的(ダイナミック)に捉えた教えです。第3条は認識上の神であり、第11条は実践上の神です。
 「神に依(よ)る」の反対は「人に依(よ)る」とりわけ「自分に依(よ)る」、つまり自分の力に頼ることです。しかし、自分の力が万能でないことは誰しもが日常生活において感じ、知っていることです。自分を超えた、自分ではどうにもならない力によって自分や世界が支配されていると、すべての人は直観と感情によって会得しています。理屈をあれこれ言うまでもなくそうなのです。
 限られたものでしかない自分の力を過信して、「神も仏もあるものか」と傍若無人に振る舞う人が世の中にはいます。それでも多少なりとも自分自身を客観的に見ることができるならば、自分の力は限定されたものにすぎないことに気付き、自分を超えた偉大な力の存在に謙虚にならざるを得なくなるのです。
 「一切を神に依(よ)る」とは、〝何をするについても、神を拝み、神に遂断(しき)ってからする〟ことです。
 〝かって私は教祖さま(初代教祖のことです。引用者註)に「おしえおやさんは、神さまなど拝む必要はないでしょう」と言ったことがありますが、教祖さまは「とんでもない、俺は神さまが一番こわい。神さまを拝まずにはおれない」と申されました。「天人合一の境地にあり、神に依(よ)りきっておられるおしえおやさんとしては、神さまなど拝む必要はないと思われますが……」と申しますと、「いやいや、自分では神に依(よ)っているつもりでも、神の目から見たら依(よ)っていないかもわからない、その点なんの自信もない、そう思えば神さまを拝まずにはおれない」というようなことを申されました。〟
(2)神(大元霊〈みおやおおかみ〉)
 神(大元霊〈みおやおおかみ〉)とは、「一にして多」、「多にして一」なのです。
 存在するものの全体、つまり世界・宇宙・自然は多様で、豊かで、変化に満ちています。さまざまな生命があふれてもいます。しかし、それら多様な森羅万象もその本質では「一」(大宇宙の根源的な「力」)に帰着するのです。この「一」こそ神(大元霊〈みおやおおかみ〉)です。「多」は「一」であり、「一」は「多」なのです(「多即一」、「一即多」)。「一」である大宇宙の根源的な「力」の「働き」によって多様な世界、森羅万象、すなわち「多」が現れているのです。
 私たちは、他のなによりも大切でかけがえのない「自分」というものが、なにはともあれ存在していると思い込んでいますが、その「自分」は神の現れで、神と離れた自分など、実は存在していないのです。私たちが芸術する、自己表現するところに、具体的な〈自分〉、つまり、ほんとうの〈自分〉が現れてくるのです。芸術なくして、自己表現なくして、〈自分〉はないのです。
 「すべて」は「一」である神の現れで、神以外なにも存在しないのです。「おまえはまだ自分というものにとらわれている。自分など無いということがなぜ分からないのか!」。二代教祖が私に厳しく教えてくださったことです。
 そして、あるとき、私は「あっ、そういうことだったのか」「白日のための白日など無かったのだ」と唐突に気付かせていただいたのです。それは、私が「みおしえ」ができるようになった「秋(とき)」でもありました。
(3)大元霊(みおやおおかみ)と分霊(わけみたま) 
 私たちはこの世に生まれた瞬間、大本の神(大元霊〈みおやおおかみ〉)より魂(分霊〈わけみたま〉)を入れていただきます。「オギャー!」という産声は、「分霊(わけみたま)をいただきました!」という〝しるし〟でもあるのです。神がそのように現れているのです。その魂(分霊〈わけみたま〉)を磨き、誠の心としてイメージを展開させ、手掛けるすべての素材に真心を投入して芸術していくのです。そこに人間の自由があります。自由があるからこそ芸術が可能なのです。自由がなければ、本能と強制があるだけで、芸術の出番はありません。
 自分の分霊(わけみたま)を常に大本の神に心通(かよ)わせつつ芸術する。大本の神に手を合わせ祈り、遂断(しき)り、実践することにより私たちの分霊(わけみたま)は大本の神と一つになろうとするのです。

2.神に祈りつつベストを尽くす

 二代教祖の言葉です。
①〝神に祈るということは、自分のなすべきこともなさず、誠をするとかベストをつくすというようなことを抜きにして、ただ神にお願いしておかげだけをいただこうとするのではありません。一生懸命にトレーニングをし、自分としての最善をつくし、なおその上に祈るという謙虚な、おのれを慎む心からの祈りでなくてはならないのです。〟
②〝万全を期して自己表現をするといえども、はたしてうまくいくかどうかわからない。ベストをつくすつもりだけれども、はたしてうまくできるかどうか自信はない、だからこそ「神よよろしく恵み給え」と祈るのであります。〟
③〝あくまで自己を行使し、自己を表現するところに人生の意義があるのです。だからこそ自己を表現し、自己を行使する上に、「神よ恵み給え」と祈るのであります。〟
 その人の持ち味であるその人独特の個性を十分に発揮して芸術したい、自己表現したいと意欲するとき、そこには必ず神への祈り、神に依(よ)る姿が伴ってくるのです。
 また、「自己を行使する」のは誰か? といえば、それは「自己」にほかなりません。「行使する」自己と「行使される」自己と、一人の自己の中に二人の自己がいることに気付くことは、自分自身を客観的に凝視することにほかなりません。
 それが「Tow in One」です。芸術する自分、そしてその自分を見ているもう一人の自分がいるのです。
(1)「祈りと実行」
 神に生かされ、生きておればこそ神に依(よ)らねばならない。たんに生かされているだけでなく、自由に芸術して生きているのですから、そのことを感謝しつつ神を拝むのです。
 二代教祖がローマ法王(教皇)パウロ6世とお会いしたときに「人生は芸術である。祈ってばかりではだめです。神に祈ると同時に献身(みささげ)することが大切です」と話されると、法王さまが「うちにも〝祈ろう、そして働こう〟という言葉があります」と応じられたことは第7条「一切は相対と在る」のところで触れました。
 〝 祈りと実行は同時でなくてはならないのです。〟
 私たちが神と一体となり得る姿がここにあります。
(2)拝むだけの信仰は迷信
 〝信仰は真行であって気分だけではけっしておかげをいただくことはできないのです。あくまでも遂断(しき)りつつ祈りつつ実行する—行ずるということが、もっとも肝心なことなのであります。〟
 〝ともすれば「拝めばよい—遂断(しき)ればよい」というような甘い気分をもって、実行をおろそかにしている人がありますが、そうなるともはや信仰の堕落であります。〟
 〝「神に依(よ)る」ということをたんに「神を拝む」ことのように履き違えている人もあるのではないかと思います。〟
 二代教祖は、〝実行せずにたんに決意し拝んでいるだけになっている「信仰」は「迷信」であって、「かたく戒むべきこと」である〟と教えています。
 物事を実行しようと決意しても、はたして自分の力で実行できるかどうかは、誰しも自信をもてないはずです。
 〝やはり神を拝むのであり、神に祈るのです。そして至らぬおのれが、これ恐れ、これかしこんでこそはじめて、やっと実行させていただけるのであります。〟
 〝自分の力で実行できるように思ったり、自分の力で誠をつくし得るもののように思うとしたら、それは神を知らない人であります。神を知る人であれば、何事をするにも拝まずにはおれないのであります。〟
 〝真剣に自己を行じつつ「ベストをつくしますにより、神よ恵み給え」と祈っていくところに、「神に依(よ)る」境地はあるのであります。〟
 神に依(よ)ることを履き違えて、神に依存してしまい努力、精進することを忘れてしまうと、あなたは「人」ではなくロボット、機械となってしまいます。神に依(よ)ることと神に依存することとは違います。自分の責任を神の責任に押し付けてしまうようなことになってはいけないのです。
 PLの教えは実践の教えです。自由に芸術することによって、楽しい人生を獲得することを教えています。「楽しくないのは、何かが間違っているからである」と二代教祖は教えます。その間違いを明らかにして、それを是正する方法を教えてくれます。それが「みしらせ・みおしえ」の教えです。

3.「神を拝む」という芸術表現(「遂断〈しきり〉」)

(1)神を拝む「式」(形)
 〝神を拝むのも芸術になっていなければならないのであります。いいかえれば即(つ)かず離れずの境地において神を拝むのでなければ芸術にならないのです。〟
 〝ものごとの真はすべて即(つ)かず離れずの境にあるのであります。信仰もまたそうでありまして、即(つ)かず離れずというところに、神に依(よ)る境地、神に通ずる境地はあるのであります。〟
 〝神に依(よ)るのにも、神を拝むのにも、それだけの式(形)をとる必要がある。〟
 〝PLのいろいろな祭典の場合に「献花」をいたしますが、あれは自分のまごころを花に託し、花に息吹きして神にささげるという意味があります。このように、神に依(よ)るには神に依(よ)る式をするのでなければならないのです。〟
 神を拝むには「式」(形)が定められます。個人で拝む場合もあり集団の場合もあります。それは神を拝む側の誠の表現であり、神と人との「きめごと」でもあるのです。
 PLの教えでは神を拝むとき「遂断(しきり)」という独特の形をとります。
 内容(決意)と形式(実行)の一致のもと、神と一体となって物事をさせていただくとき、「遂断(しきり)」の力が働くのです。
(2)信仰も芸術です
 自己表現するとき、一生懸命息吹きを込め、つつましい心で神に感謝できるときに、神とあり通(かよ)うことができます。
 「鐘が鳴るのか、撞木が鳴るか、鐘と撞木の間が鳴る」、鐘が神、撞木が人です。鐘と撞木のどちらが鳴るのか、どちらが芸術を生むのか、どちらでもない、鐘と撞木が相触れたとき、つまり人が神とあり通(かよ)ったときに、音が出る、鳴る、つまり、芸術がなるのです。
 〝信仰も芸術であります。自己規制をし自己表現をいっそう立派なものにしていくために神霊を拝むのです。〟
 〝神に依(よ)る境地を把握するには、日夜神霊を拝み、行動をおこす場合はひたすら神に祈願してからするように心掛けることであります。〟
 人は自分の力で生きているのではなく、神によって生かされ生きているのです。
 至らない己を常に自覚し謙虚に、神と共に芸術することができるよう人は祈るのです。
 真剣に神に手を合わせ祈るとき、神はそこに降り立つのです。
 神がそこに立ち現れ守ってくださると私は信念しています。
 常に神を肌に感じながら芸術する、それが屈託なく力強く生きる在り方です。
 祈りもまた芸術です。イメージの造型です。
 楽しい人生がそこに現れます。

4.「祖遂断(おやしきり)」は一切を神に依(よ)ること

(1)祖遂断(おやしきり)の神事
 PLの教えで大切な神事に「祖遂断(おやしきり)」があります。「お・や・し・き・り」と唱えるのです。神に依(よ)る姿にほかなりません。
 二代教祖が1958(昭和33)年5月29日午前〇時半に悟得されたイメージを目に見えるように造型された神事が「祖遂断(おやしきり)」です。
 〝祖遂断(おやしきり)神事は、三〇年の寿命を縮めてまでも早期世界布教を欣求(ごんぐ)せられた教祖(初代教祖のこと。引用者註)の大悲願達成方法として、徳近が神授かった精神造型(げいじゅつ)なることを改めて銘記したい。〟
 私は二代教祖から次のようにお聞きしています。「〝お・や・し・き・り〟の5字には教神の誠、わしの命、すべてが籠(こ)められている。PLのもてる力をすべて籠(こ)めてある。人生の杖として常にこれを念じて行け」と。教神とは、徳光教の初代教祖・金田徳光師(「この教え」の幽祖)、ひとのみち教団の初代教祖にして「この教え」の初代教祖・御木徳一師ですが、PL教団の初代教主にして「この教え」の二代教祖・御木徳近師も1983(昭和58)年2月2日亡くなられ、「この教え」の教神となられました。
 二代教祖は「一切は自分の力でなく教神の誠の賜物・神霊(みたま)の働き」という信仰信念に立って教えを説かれるのです。
 〝祖遂断(おやしきり)をとなえれば、一切を「神に依(よ)る」ことになる—そういう効果があるのであります。これは非常に神秘的に思えることであり、現在のところまだ科学的な証明はできませんが、現実に祖遂断(おやしきり)をとなえさえすれば、誰でもPLのおかげをいただけるのであります。〟
 「誰でも」とは、PLの会員(信者)に限らない、人類すべてということです。
(2)宗教と科学は一致すべきである
 初代教祖は「宗教と科学—信仰と医学は一致すべきである」と説きました。二代教祖は初代教祖のこの教えを証明しようとして、PL病院をつくり、PL健康管理センターをつくりました。そこに集積されたデータは「みおしえ」の正しさを検証、確認する資料ともなっています。
 〝人は神に依(よ)るとき、必ずおかげをいただくのです。私の場合を申しますと、私は神を拝まずにはおれないのであります。神に依(よ)ることがうれしく、神にお願いすれば必ずその願いは聞いていただけるのであります。〟
 〝一切を神に依(よ)るとき、人は絶対に屈託することがありません。屈託するのは神に依(よ)らないからです。〟
 屈託とは一つの事ばかり気にかかって心配すること、くよくよすることで、精気を失っていることです。
(3)貞永式目と「神仏の功徳(くどく)」
 北条泰時が1232(貞永元)年に鎌倉幕府の基本法典として定めた御成敗式目(貞永式目)の第1条、第2条には「神仏は人が拝めば拝むほどその威力を増し、その功徳は高まる」とあります。
 人は神を拝むことによって、その人自身の誠が引き出されるのです。それによって、神は威力を増し、その功徳は高まるのです。「一切は鏡である」なのです(PL処世訓第15条)。
 一切は自己のイメージの具現であるといえるのです。自己のイメージの造型、それが芸術でありすべてです。それによって、世界が変わるのです。
 神に依(よ)る心、その心に基づく自己のイメージの造型、それが芸術であり、芸術すればするほど神の恵みをいただくこともそれだけ大きくなるのです。

5.二代教祖の霊魂不滅論

(1)人は神より来たり神に帰る
 「人は亡くなるとどうなるのでしょう」と私がお聞きしたとき、二代教祖は「人は死ぬと皆、神に帰るのだよ。わしも死んだら神に帰って神と一つになる。もしわしに守ってほしかったら、わしを呼び出しなさい。そしたら、わしは出て来て守ってやることができる」と言われました。
 私は朝晩、二代教祖の御神霊(おみたま)にお祈りし、いろいろ教えていただいています。ほんとうに心から感謝申し上げています。
(2)「亡き霊は現存者の誠によって働く」
 「人は死ぬと神に帰り、神と一つとなってしまうので、生きている人の誠ある呼び出しがない限り、自分から生きている人の前に出てくることはできない。死者との交流も生きている人の芸術の一つ、精神造型の一つなのだ」と二代教祖からお聞きしています。
 二代教祖は、初代教祖の御神霊(おみたま)と交流されているお話をよくされていました。
 私は二代教祖の「霊魂は不滅である」とのお話を思い出します。
(3)「霊魂は不滅である」〈昭和30年7月 親講〉(抜粋)
① 神に帰った霊魂に対しては、これにあやかる方法、これと話をする方法があります。
  すなわち次の代を継ぐ人、または家族、必要によっては他人が「何某様」と心に念ずれば、神へ帰っている何某さんの魂がここへ臨時にそーとやって来て、「何ですか」と言い、「私を守ってください」と念ずれば、「よろしい」というようなことになるのです。
② このように拝む人に誠意があるならば、その誠によって亡き人の霊に通ずることができます。つまり亡き人の霊は、神に帰って神様と一緒になっているのですが、生前中の何某分の霊がそこへやって来て、生きた人と通ずるのです。
③ だからあなたが亡くなっても、あなたの誠、あなたの霊というものは、未来永久にいつでも生きている人と通うことができるのです。ただしあなた自身が自発的にあらわれて来ることはできません。自発的に自分を表現できるのは、肉体をそなえている時に限るのです。神に帰れば自発的意志が無くなるからです。生きた人間にしてはじめて自分を行う——表現してゆく——ことができるのです。
④ しかし、もし死後においてあなたがあなたを行いたいというのならば、寿命を縮めてそのように神に誓って死にますと、生きている人を通じて働くことができるという道もあります。また場合によれば幽霊になって出てくることもできます。このことは私は先代教祖から教えてもらったのです。で、亡くなった先代教祖と私はものを言うことができ、またその他の亡き人とものを言うことができます。これは一種のみおしえでありますから私はこれを信じております。
⑤ 要は現存している人の誠いかんによって、亡き霊は働くものである、現存している人の誠が無ければ、亡き霊は独立して働かない、そういう意味における死後の霊はあり得る、言い換えるとすべて御神霊(おみたま)によって亡き霊は働くのである、ということです。
⑥ それにはまず、人を尊ばねばなりません。物を大切にせねばいけません。親を大切にし、人を愛さねばいけません。そして、御先祖を大切にしなければいけないのです。御先祖のみたまに日夜礼拝しぬかずくのでなければ、真に神に依(よ)ったという境地にはなれないのです。すなわち単に大神様を拝んだだけでは駄目(だめ)で、大神様並びに教神様、およびわが家の御先祖様を拝んだ場合に、はじめて本当に純粋に、〝一切を神に依(よ)れ〟という処世訓の内容律を体得した生き方となることができるのです。大神様お願いします——というだけではまだ内容律が浅いのです。「我々が今日ここにこうして生存するゆえんのものは、近くは両親、祖父母、遠くは御先祖のおかげである」と、御先祖に対する報恩感謝の念をもっての、「神よ、よろしく恵み給え」という内容律でないと、真に神に依(よ)ったということにはならないのです。
⑦ あなたに意欲があるならば、あなたは世の中のすべての人に残ることもできるのです。学校教育の上に、政治の上に、音楽の上に、あなたはずーっと残ることができるのです。
  その点で私共の「芸生殿」は、まことに楽しい限りです。PL教信徒が教祖を中心として、一つになって作品と一緒に残るのですから。
   神わざを悉皆(みながら)生きておぎろなき魂(たま)の故郷に入らん日は何時(いつ)
  という歌が私にありますが、これはおよそ神様が人間に与え給うことごとくの能力を表現し尽くし、神業の味を満喫して、〝神様、もう無いんですか、無ければ帰りますよ〟というようなところまで行って、神に帰る日は一体いつなんだろう——という意味です。
  そこまで行ったら、もう死が惜しくありません。これは私の無限へのあこがれの歌ですが、これを私は人々と一緒に生きたいというわけであります。これこそ、真に一蓮托生(いちれんたくしょう)でありましょう。私はそういうわけで、〝人生は友なり〟というところから、本当の魂の同志を得て、そういう人々と一緒に人生を芸術していこうというわけなのです。
(4)まとめ
 二代教祖は本当に親孝行の方でした。この霊魂不滅論の中にそれがよく現れています。「わしが死んだら先代と同じ奥津城に入るよ、いつもわしは先代と一緒に芸術してきたからね」と常におっしゃっていました。また、それ故、芸生殿は奥津城の側につくるようにと二代教祖は指示しておられました。「芸生殿」が奥津城と一つのものであることを二代教祖は説いています。
 二代教祖は初代教祖と一緒に今も私たちを見守ってくださっていると信念しています。