2007年9月22日の御木徳近日知のご遺骨 | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

 平成16年(2004年)4月より入院されていた影身祖さまのもとに、時々お見舞いに行っておりました。9月はじめお見舞いに行きますと、「白日さん、どうも二代さまのお骨が奥津城に入っていないような気がするので、もし貴日止教主のところにあったら、白日さんあなたが取りに行って、あなたが守って頂戴、お願いします」と影身祖さまから頼まれました。

 

 二代さまは「わしは先代の意志をつぎ、先代をいつも心において共にPLの教えを説いてきたのじゃ、奥津城を〝教祖奥津城〟と命名したが、そこにわしも先代と共に入るよ。よく覚えておくように」と影身祖さまや私に、又まわりの人たちにも話しておられました。

 

 二代さまは奥津城に「教祖奥津城」と大きく記されていました。それは二代さまの願いであったのです。「ひとのみち教団の初代は御木徳一日知であるが、PLの初代はこのわしじゃ」とおっしゃっておられました。

 

 以前、奥津城から二代さまのご遺骨を出されたことがありましたが、戻されているはずでした。ところが、影身祖さまのお言葉があり、貴日止教主にお電話でお聞きしました。そして教主邸にあることが分かりましたので、影身祖さまのお言葉をお伝えし、2007年(平成19年)9月22日朝9時過ぎ、教主邸に行きました。川上さんと新堀さんと一緒に来ていただきました。

 

 部屋に入りますと貴日止教主がおられたので、「ご遺骨はどこにあるのですか」と伺いますと、「そこにあります」と指さされました。そういえば入る時に何か腕に触れた感じがありましたが、入口にあったのがご遺骨でした。

 

 私は思わず貴日止教主に「ご遺骨をあんなところに置いて粗末な扱いをするなど、こんなことをしたら、あなたの体はもっと悪くなり、ダメになりますよ。そして教団もだめになりますよ」と大きな声で申しました。貴日止教主はのけぞるようにして驚き「ではすぐ奥津城に入れましょうか」と言われました。私は「当然でしょう。二代さまが願っておられたことですから。すぐ入れて下さい」と思わず申しました。貴日止教主は「すぐ入れます」と言われました。奥津城に戻されることは、影身祖さまが一番望んでおられたことなので、私は持って帰ることを忘れていました。

 

「式典をしてお入れしたのですから、勝手に出さないで下さい。お入れになる時はきちっと奥津城で式典をしてお入れになって下さい。お願いします」と貴日止教主に申し上げました。教主は「はい」とおっしゃて下さったのです。

 

 そして、貴日止教主が私に「お座り下さい」と言われ、四角いテーブルに座りますと、私の後ろを取り囲むように、次々と理事という人たちが座ってきました。

 

 このようなことをされたのははじめてでしたので、驚きました。この人たちは教団の普通の信仰者とは違うという奇妙な違和感を感じました。

 

 私の斜め右前に貴日止教主、そして美智代夫人、左斜め前に板垣信生さん、そして牧野さん、正面には板垣真光さん、そしてもう一人誰かが来られるとのことで一つ空席でした。

 

 貴日止教主の言われるままに座りますと、私の左斜め前に座っていた板垣信生さんが、開口一番「白日さんは二代さま二代さまと言っているが、死んだ二代が何だというのだ」と言い放ったのです。

 

 私は今までこんな言葉を聞いたことがないので、思わず両手で耳をふさぎました。板垣信生さんの横にいた牧野さん、私の前面にいた板垣真光さん、そして美智代夫人が、一斉に「そうだ、そうだ」と言ったのにも驚きでした。私の斜め右側の貴日止教主は一人にがにがしい顔をしていました。

 

 二代さまのことをこれだけ悪し様に言うことは、その二代さまが指名した貴日止師はもっとダメな人間であることを暗に示しているのと同じだと私は直感しました。貴日止教主がにがにがしい顔をされたのも当然だと思いました。

 

 この教師たちは二代さまに対する尊敬の念がないばかりでなく、貴日止教主にも敬意を欠いている人たちであると分かりました。

 

 このような人たちが貴日止教主を取り囲み、教えのわからない、関心もない美智代夫人を中心に自分たちの勝手なことを教主におしつけ、教主の意志のように見せかけているのは、神をもおそれぬ在り方だと思いました。

 

 貴日止教主が「身近な者が私を利用しようとするのがいやだ」と私におっしゃっていたことも当然だと思います。

 

 私は思わず、板垣信生さん、真光さん、牧野さん、美智代夫人、そして私の後にいた中田さん他理事という人たちに大きな声で言いました。

 

 「あなたたちは二代さまを悪し様に言っていますが、このPLの教えは二代さまの悟りによって開かれた〝人生は芸術である〟という教えで、それを布教するために二代さまがPL教団を作られたのです。全部二代さまの教えですよ。そして二代さまが授かった処世訓、遂断詞、祖遂断等、全部二代さまが遂断られたもので、皆さん方はそれを信仰し、実践しているのではないですか、二代さまのお徳を頂いているのではないのですか?どうなんですか?」 

 

 私の質問に誰も答えず、ただ皆下を向いていました。

 

 「あなたたちは〝人生は芸術である〟ということがわかっていませんね。芸術がわからなければ、教師とはいえません。芸術とは……」と言いかけて、私は「あなたたちに芸術の話をしても無駄なので止めます」と言葉を止めました。

 

 その晩、私は夢を見ました。

 

 そこに集まった理事と言われる人たちが皆次々と砂地獄に落ちて吸い込まれてゆく夢を見たのです。その砂地獄の端で貴日止教主が一人立って見ていました。「ああ貴日止教主がおられた」と、ハッと目が覚めました。

 

 二代さまのご遺骨は今、現在、どこにあるのか、どうなっているのか分かりません。美智代夫人とその取り巻きの教師しか知らないのです。一般の教師方は知らないのです。

 

 こんな神を粗末にするようなことを平気でする人たちは、PLの信仰者でも、宗教者でもないのです。