2020年 教祖祭 | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

8月1日、初代教祖82年祭、二代教祖37年祭の教祖祭を御木徳近記念館でさせて頂きました。

 

私は二代さまから度々幽祖さま初代さまのお話をいろいろと伺っていましたので、その一端を話させて頂きました。

 

幽祖さまは弘法大師にふかく帰依しておられ、犬鳴山等で行者として修行をなさった方で教訓18ヶ条をあらわされ、みおしえ・みしらせの真理を悟得され、〝おふりかへ〟をお創りになりました。

 

初代さまは幽祖さまを師として仰ぎ修行されていました。或日、集まった教師たちに、幽祖は「今日はあなた方の日頃望んでいることをどんなことでも授けてあげましょう」とおっしゃったそうです。皆それぞれ「私は長生きしたい」とか「お金儲けをしたい」とか自分勝手なお願いをしたそうです。最後に初代さまは「最近肺病で亡くなる若い男女が多いことは国のためにも残念でなりません。あらゆる人々の肺病になり代わる力を授けて頂きたい」と申しあげると、幽祖さまは「わかりました」と言われ、翌日初代さまは、幽祖さまの部屋に呼ばれ、「今後肺病ばかりでなくあらゆる人の苦痛災難を肺病とみなせば、ことごとくあなたの肉体に吸い取ることができます」とおっしやったそうです。

 

幽祖さまは大正8年1月4日お亡くなりになりました。

 

初代さまは幽祖さまのご遺言を守られ、三ヶ条を授かり、教訓二十一ヶ条を完成。御嶽教徳光大教会を立教されました。そして「みおしえ」をされ、「おふりかへ」をお受けになるようになりました。

 

二代さまは「初代さまは、時々咳こみよく痰を出されていた」とおっしゃっていました。〝おふりかへ〟によって人々の苦痛災難をご自分の肺に受けておられたのです。

 

昭和6年にひとのみち教団と改名されましたが、国家権力による教団壊滅の後、昭和13年7月6日初代さまはお亡くなりになりました。

 

二代さまは昭和21年9月29日PL教団を立教され、昭和22年9月PL処世訓21ヶ条を授かられ、二代教祖として強く布教を推進されたのです。

 

二代さまに「先代さまは〝おふりかへ〟をすべて肺にお受けになられたということですが、ご自身はどこにお受けになっていらっしゃるのですか」とお伺いしたところ「わしは全身に受けている」とおっしゃいました。二代さまは咳をされたり咳ばらいをされてはいつも痰を出しておられました。そのためいつも痰壷を側に置き、また持ち歩いておられました。また急に頭痛におそわれ「誰かむりな願いをしているな」などと、つぶやいておられる時もありました。

 

初代さまはこの教えをひろめるため 三十年寿命を縮められたということですが、二代さまも「全人類を救うために大慈大悲の念願をたてて一身を犠牲にしている」とおっしゃっています。

 

二代さまは〝世界平和の為の一切である〟にのっとり、この教えを世界に布教し、全人類永遠の平和と福祉を念願して寿命を縮められたと思わざるを得ません。

 

二代さまはしばしば「わしの目の黒いうちに世界にこの教えを広めたい」とおっしゃっていました。「わしの目の黒いうちに…」というお言葉が私の心に強く残っています。