歌詞パズル 歌詞コンプレックス | 酒井ミキオオフィシャルブログ「raintree」Powered by Ameba

歌詞パズル 歌詞コンプレックス

 歌詞制作の第二、第三段階では、ある意味パズルのピースを当てはめる作業が待っています。テーマは決まり、言いたいことをダダダ!と書いていく(打っていく)と。

 人によって様々な行程はあるが、ひとまず何らかの形になったと仮定する。その後に「このB部分で○○のような表現をしたいのだが、あのアーティストが使ってる。別の表現は無いか?うぬぬ・・・」と同義語探しが始まったりするのです。そして気づくと何もせず数時間が過ぎていることもしばしば。

 「ありきたり」の境界線もあります。この表現、何十年と使われているよね、それをサビ頭に持ってきちゃいかんでしょ!と思う自分。しかし数々のアーティストがその「ありきたり」を使用しているということは、やはり心の琴線に触れる定番の表現だったりもするんだなぁ。

 しかし俺はそれを使っていいものか!?それとももっと個性を出すべきか?・・・という境界線上で悩みながら雑念が盛り上がって数時間。お腹が空いたり眠くなったり、どうでもいいサイトを見たり(笑)。

 あー!80年代バンドみたく「ナントカナントカ I LOVE YOU」とか「ナントカナントカ ONLY YOU」とかのゴリ押しでいけねーもんかなぁ!と投げやりになってみたり(笑)。何しとんじゃ!我!

 ま、色々あるわけです。

 と書いてきましたが、僕が思うに歌詞制作において一番やっちゃいけないのはテクニックに溺れることです。まず思いありき。いつぞやのブログで精神的露出狂と書きましたが、心の恥部、秘部を見せることが自己表現に繋がる道だと思います。

 本当は言いたくない思いや経験をメロディに乗せる。すると心が軽くなったと。プロアマ問わず、そういう方法でストレスを開放している人って多いと思うんです。つまりコンプレックスの多い人は表現者向きだと思います。表現の種が沢山埋まっているからです。

 昔、特に20代の頃にこういうことがありました。コンプレックスを抱えた表現者に対して妙な憧れを抱くの巻

 うわ、この表現やぱ! → いや待てよ、人としてあの人生は経験したくないぞ → でもしかし、やっぱ言葉に打たれる。俺にはコンプレックスが足りん!甘ちゃんだ! → コンプレックスをあまり感じずに育ったことに対するコンプレックス(笑)に苛まれる → そうだ!コンプレックスと言えば太宰だ!太宰治を読んでやる! → ダメだ!俺は心中出来ん!絶対無理だ!無理過ぎる~! → うおー!飲んでやる~!!現実逃避だ~!渋谷へゴー! → 朝の富士そばで圧倒的後悔 → 飲み疲れのせいで無駄に一日終了・・・。

 上記のことを度々繰り返し、ようやく「俺は俺なのだ。俺なりの表現を誠実にやっていくのだ!」という、今思えば当たり前の場所に辿り着いたのです。うむ、あの現実逃避スパイラルは無駄ではなかったと言い聞かせる自分(笑)。

 当時アーティスト活動だけではなくプライベートでも色々あったということもあり、多少なりとも精神的迷路を漂っていた時期ではありました。そこをヌルッと越えた時、精神的にも現在に通じる「自分」というものが成立、もしくは確立した気がします。30歳頃です。

 歌詞制作って辛くて面白いですよ。言葉が出てこなくて悶々とするけど、その悶々こそが自己と向き合っている時間なんです。悶々を抜けたときの開放感は快感。そして反復練習のような自己確認で精神の軸を固めることが出来る。

 歌モノ音楽に関しては、音と言葉の重要比率は半々と思っています。下手したら言葉の方が重要かも?・・・まあ曲によりけりか。今後、僕がどういう言葉を選んでいくか? 自分でもわかりません。年齢によって感じることも違うでしょうからね。精進します。

 今日も長々閲覧ありがとう。ということでパズルに戻ります。また明日以降・・・。