天才ここにあり
一瞬でも自分を天才だと思ったことがある人います? 一瞬なら意外と多いのではないでしょうか? 俺は、私は天才だ!と。
しかし天才は往々にして早世します(例・尾崎豊)。往々にして問題児が多い(例・エジソン)。往々にして不遇である(例・ゴッホ)。社会に住む人間としては欠けているものが多いようです。つまり人間としてバランスが悪い。
以前も書きましたが、僕も一時期、自分は天才だと思っていました(笑)。作る曲作る曲、全てが良い(自己判断)!という、いわゆるノっている時期にそう思いました。今から約20年前のことです。
キーボーディストだった僕が「よし、歌ってみよう!」と思う→→→半年後にレコード会社と契約→→→その11ヶ月後にデビュー・・・というように人生が上手く流れ過ぎたせいもあり、若かった僕は調子に乗りました。輝く未来しか見えない純粋無垢な少年でした。
振り返れば1年半くらいでしょうか、ミキオ的天才期(自己判断)は。紆余曲折を経てその時期を過ぎると「あれ?俺って天才じゃないかも」という思いに至りました。その間、新人アーティストとしてありがちな幾つかの壁にぶつかったことは言うまでもありません。
しかしめげない僕です。前向きにこういう考えに至りました。「そうだ!俺は秀才なんだ!(笑)そうに違いない!じゃあ努力しなきゃ」と。いかがですか?この思考、面白いでしょう?
もちろん努力はしていたんですが、どこかで「曲はすぐ出来る」という過信に寄りかかっていたことは事実です。それではいけませんね。
人間の脳は意識一つによっていとも簡単にチェンジします。なかなか上手くいかない状態でもそれほどネガティブにならずにすんだのは、このような単純な自己愛からくる思考によるものでした。アスリートなどがやるイメージトレーニングを地で行っていました。正直、それで人生が助かった。
つまり僕はバランスを取っていました。社会人としてはごく当たり前なことです。ミュージシャンの前に一人の社会人。これはこれで良き考えだと思います。僕は僕なりのバランスで人生を歩く、それのみです。
さて、昨日はとあるライブを観にお台場へ行きました。日本の音楽界で天才と呼ばれている男のライブです。天才と呼ばれているのにファンからは親しみを込めて「岡村ちゃん」と呼ばれている男です。そう、岡村靖幸さんです。
全盛期といわれるものがあるならば80年代中盤~90年代初頭でしょう。あの時期の作品はホント素晴らしい。黒人音楽をバックボーンにしつつも新しいJ-POPを作り上げていました。音、歌詞、ライブ、発言等々、個性溢れるアーティストが多かった時代においてもその存在感は強烈でした。
初めて彼を見た人はこう思ったかもしれません。なんか気持ち悪い・・・。そうです、好きか嫌いにはっきり分かれるアーティストなのです。僕も初めはそうでした。なんじゃこりゃ!?なんじゃこのパフォーマンス!?なんじゃこの曲!?と。
しかし怖いもの見たさで彼の世界を覗いてみると・・・その独特の粘着力にやられ、気づけば初期のアルバム全てを揃えている僕がいました。
天才とはバランスが悪い人と上記に書きました。彼もまたそのバランスの悪さのスパイラルにはまっていきます。作品に対しての苦悩、人生に対しての苦悩・・・詳しくはネット上に色々とありますのでそちらを参照にしてください。
そして紆余曲折を経て昨日のライブです。今年で48歳という完全な中年ですが、ステージは少年・・・というか少年の心を感じる内容でした。思春期のモヤモヤ感、恥ずかしさ、イケイケ感等を楽曲に入れ込んだ素敵なライブでした。全盛期のダンスや歌とは違うけど、何かを背負った男のライブがそこにありました。唯一無二の岡村ちゃんです。
今後もアクの強い個性オンパレードな活動を期待します。サラリとした薄味の音楽シーンに一石、二石、三石を投じながら、永遠の「たぶん23歳」として君臨し続けてください!!
ということで、やはりライブは観る側でもやる側でも楽しい! 僕も行けるところまでは続けるぞ! 皆さんよろしくね! それではまた明日以降・・・。
しかし天才は往々にして早世します(例・尾崎豊)。往々にして問題児が多い(例・エジソン)。往々にして不遇である(例・ゴッホ)。社会に住む人間としては欠けているものが多いようです。つまり人間としてバランスが悪い。
以前も書きましたが、僕も一時期、自分は天才だと思っていました(笑)。作る曲作る曲、全てが良い(自己判断)!という、いわゆるノっている時期にそう思いました。今から約20年前のことです。
キーボーディストだった僕が「よし、歌ってみよう!」と思う→→→半年後にレコード会社と契約→→→その11ヶ月後にデビュー・・・というように人生が上手く流れ過ぎたせいもあり、若かった僕は調子に乗りました。輝く未来しか見えない純粋無垢な少年でした。
振り返れば1年半くらいでしょうか、ミキオ的天才期(自己判断)は。紆余曲折を経てその時期を過ぎると「あれ?俺って天才じゃないかも」という思いに至りました。その間、新人アーティストとしてありがちな幾つかの壁にぶつかったことは言うまでもありません。
しかしめげない僕です。前向きにこういう考えに至りました。「そうだ!俺は秀才なんだ!(笑)そうに違いない!じゃあ努力しなきゃ」と。いかがですか?この思考、面白いでしょう?
もちろん努力はしていたんですが、どこかで「曲はすぐ出来る」という過信に寄りかかっていたことは事実です。それではいけませんね。
人間の脳は意識一つによっていとも簡単にチェンジします。なかなか上手くいかない状態でもそれほどネガティブにならずにすんだのは、このような単純な自己愛からくる思考によるものでした。アスリートなどがやるイメージトレーニングを地で行っていました。正直、それで人生が助かった。
つまり僕はバランスを取っていました。社会人としてはごく当たり前なことです。ミュージシャンの前に一人の社会人。これはこれで良き考えだと思います。僕は僕なりのバランスで人生を歩く、それのみです。
さて、昨日はとあるライブを観にお台場へ行きました。日本の音楽界で天才と呼ばれている男のライブです。天才と呼ばれているのにファンからは親しみを込めて「岡村ちゃん」と呼ばれている男です。そう、岡村靖幸さんです。
全盛期といわれるものがあるならば80年代中盤~90年代初頭でしょう。あの時期の作品はホント素晴らしい。黒人音楽をバックボーンにしつつも新しいJ-POPを作り上げていました。音、歌詞、ライブ、発言等々、個性溢れるアーティストが多かった時代においてもその存在感は強烈でした。
初めて彼を見た人はこう思ったかもしれません。なんか気持ち悪い・・・。そうです、好きか嫌いにはっきり分かれるアーティストなのです。僕も初めはそうでした。なんじゃこりゃ!?なんじゃこのパフォーマンス!?なんじゃこの曲!?と。
しかし怖いもの見たさで彼の世界を覗いてみると・・・その独特の粘着力にやられ、気づけば初期のアルバム全てを揃えている僕がいました。
天才とはバランスが悪い人と上記に書きました。彼もまたそのバランスの悪さのスパイラルにはまっていきます。作品に対しての苦悩、人生に対しての苦悩・・・詳しくはネット上に色々とありますのでそちらを参照にしてください。
そして紆余曲折を経て昨日のライブです。今年で48歳という完全な中年ですが、ステージは少年・・・というか少年の心を感じる内容でした。思春期のモヤモヤ感、恥ずかしさ、イケイケ感等を楽曲に入れ込んだ素敵なライブでした。全盛期のダンスや歌とは違うけど、何かを背負った男のライブがそこにありました。唯一無二の岡村ちゃんです。
今後もアクの強い個性オンパレードな活動を期待します。サラリとした薄味の音楽シーンに一石、二石、三石を投じながら、永遠の「たぶん23歳」として君臨し続けてください!!
ということで、やはりライブは観る側でもやる側でも楽しい! 僕も行けるところまでは続けるぞ! 皆さんよろしくね! それではまた明日以降・・・。