出会い出逢い 長いです!注意(笑)! | 酒井ミキオオフィシャルブログ「raintree」Powered by Ameba

出会い出逢い 長いです!注意(笑)!

 世の中には数え切れないほどのミュージシャンがいます。僕もその中の一人。それぞれがそれぞれの想いを楽曲に込め、高らかに歌い演奏する。それに共感してくれる人もいれば、まったく響かない人もいる。いや、むしろ人々に認知されることすら出来ない人のほうが多い。悲しいかなこれは現実。

 表現を仕事にするということはなかなか大変なこと。生活に衣食住が伴って初めて人はエンタメにお金を投入する。まさに第四次産業。浮草産業とも言われる所以です。

 表現者が偉そうにプロでいられる国というのは先進諸国、もしくはそれに付随する国という証明でもあります。つまり日本で活動するミュージシャンは非常に恵まれているということ。我々ミュージシャンはそこを忘れてはいけない。

 そんな恵まれた日本でも音楽産業は厳しいという認識になっています。業界はそれぞれが知恵を出し合って試行錯誤している状態です。

 僕も知恵が無いなりには考えるのですが、結局行き着くところは同じ。最終的には「楽曲」なんです。自分がやるべきこと・・・というか自己表現、自己実現、いや人生の肝が楽曲なんです。そこで思考の壁がむくりと起き上がる。

 なんとなくはこうだろうな・・・までは行けるのですが、敏腕TVプロデューサーのような鋭い感覚でビシバシと未来を予想!って頭になりきれない僕。音楽産業に身を置きながら、ビジネスマンにはなりきれない弱さがここにあります。まあほとんどがそうかもしれませんが。

 しかし現在、アーティスト活動はもちろんのこと楽曲提供や演奏等を仕事にして生きている自分。ビジネスしてるんですよね、不思議と。でもこれは良き出会いのおかげだと思います。

 業界の入口になったオフィスインテンツィオの方々、僕を発掘してくれたレコード会社の方々、楽曲やライブ制作に関わってくれたミュージシャン、エンジニア、スタッフの方々、各媒体の方々、現在の事務所の社長、スタッフ、そして応援してくているファンの方々・・・。

 そういう大切な方々の応援や教示、指導があって現在があります。僕は人との出会いに恵まれていると心底思います。ありがとう!

 気づけば業界20年以上の年月が経過しました。一番年下で楽だった時代は遥か彼方。今では周りが後輩君だらけ。厳しい~(笑)! でも彼らとの語らいはすごく楽しい。影響も受けるしね。

 ちょいと話は変わります。後輩君ってわけではないのですが、地元で出会ったミュージシャンがいます。数年前、中学の友人に紹介された「くろまる」というフォークユニット。二度ほど、僕らが飲んでいるところにわざわざ来てくれてプチライブも敢行してくれました。

 となるとやはり立場上、感想を言わなければいけない僕。彼らもそれを期待していた模様だったし・・・。で、思ったことを率直に伝えました。内心「あぁ、俺なんか偉そうになってないかなぁ」と思いつつ、酔っ払いながら誠実に(笑)感想と意見を言いました。

 特にマインドのことを言った記憶があります。僕は基本的に技術論は後回し。技術の土台となる精神論が一番大事なのです。心が伴わない技術は人を感動させないと思っているからです。

 その時の僕の言葉がどう影響したかはわかりませんが、彼らは思い切った行動をします。日本一周路上ライブの旅に出かけたのです。それを聞いたときは驚きました。でも嬉しかった。地元からほとんど出たことのなかった若者の冒険。それはきっと僕には出来なかったこと。

 去年再会したのですが、人間として大きくなった彼らがいました。心にストンと大事な何かが落ちたように見えました。まさに人生の財産です。経験が人を成長させる、これは事実です。僕はその時、技術論を語りました。ある意味下世話な楽曲制作テクニックも。

 今後、彼らがどうなるかはわかりません。僕も第三者的な距離感があるからこそブログに書けるのでしょう。ただ彼らの行動と、そこで得られた経験は素晴らしいものがあります。僕に欠けているものが彼らにはあると思ったのです。少年のような冒険心は一生心に留めておきたいものです。

 さて、続きます。今日は凄く長いブログです。ごめんなさい。同じく札幌のミュージシャンの話。こちらは会ったことがありません。

 先日ネット上でたまたま見つけたインディーの映画予告がありました。覗いてみると我が地元のミュージシャンのドキュメント。なになに、51歳で弾き語りをやっていて全く売れないと。じゃあどうやって暮らしてるのかな?・・・え?ヒモ?。

 「世界一売れないミュージシャン KAZUYA」と大げさなタイトルがついているその映画は、札幌の美容師さんが初監督した作品でした。そのプロフィールを見ると僕と同年齢、そしてせたな町出身と書いてあります。

 僕は小学校の3年間、北檜山という町に住んでいました。そこは素晴らしい自然に恵まれた町でした。僕の少年期の原体験はそこで培われました。

 しかし平成の大合併で北檜山町は消滅。隣の瀬棚町、大成町とで「せたな町」が生まれました。もちろんその頃すでに僕は上京しています。監督は同時代にあの原風景を見ていたということになります。

 そして映画のナレーションがサエキケンゾウさんでした。パール兄弟のヴォーカル、サブカルのエキスパートとして有名ですね。実はデビュー時、作詞指南役として3曲ほどお世話になった方です。

 そして映画HPのコメントに久保田洋司(THE東南西北 作詞家)さん。1992年の半年間、僕は彼のバックで鍵盤を弾いていました。

 地元のミュージシャンの映画、監督が同年齢でせたな町出身、サエキさんがナレーション、コメントに久保田さん・・・そういう幾つかの要因が重なり、映画に興味を持ったのです。ブログを見ると東京で試写会がある、よし行こう!と。

 東京に雪が降った次の日、僕は阿佐ヶ谷の小さな試写室にいました。隣の席には何故か林家ペーさん・・・全身ピンクの衝撃波(笑)!ブレない御仁です。

 映画はミュージシャンKAZUYAの一年半にわたるドキュメント。映画の描写でも監督自身も言っていましたが、この人ダメな人なんです。歌も演奏もスキルはあると思います。しかし社会人として全くなってないんです。怖いから札幌から出たくないだの面接は受けたくないだの。トホホ感出しまくりです。しかし自分の音楽を必死に抱きしめて生きている。

 ただ、周囲の様々な方々のインタビューから見て取れるに、彼は不思議な人間力があるようです。こいつはダメなやつだが憎めない、ちょいと助けてやろうかなぁ・・・と思わせる力が。だからこそヒモとしてやっていけるのでしょう。僕も一緒に飲んだら楽しいかもしれんなぁと思いました(笑)。

 上記の「くろまる」そして「KAZUYA」、同じ札幌にいながらベクトルは全然逆。片方は全国一周で広い世界を見ようとした。片方は頑なに地元、しかも自分を許してくれる安息地から出ようとしない。

 でも僕はどちらが正解かわかりません。人生という作品をどう描くか?幸せとは何なのか? 誰もが突きつけられる命題をこの二者からも考えさせられます。

 ただ僕は思います。人生とは心の旅、旅とは出逢い。人、物、情報、食・・・等々、様々な出会いがあるらこそ人は生きられる。人によってはコンピュータの中だけの出会いで幸せを感じるのかもしれない。

 これから僕もいくつもの出会い、出逢いを経験していくはず。それを通じて作品を生み、作品やライブを通じて人生に意義を見出す。ここは変わりたくないなぁ。

 これから小さいながらも声を上げます。ミキオはここだよ~!と(笑)。しかしミュージシャンとはなんて勝手なんでしょうね! そんな僕を応援してくれている方々に多大なる感謝を言いたい。

 最後にもう一度、ありがとう!! まずはライブで出会い出逢いましょう! 遠方で無理ならユーストで出会い出逢いましょう

 皆さんにも素晴らしい出会い、出逢いがありますように!! 長文失礼しました!!ではまた・・・。