変化 | 酒井ミキオオフィシャルブログ「raintree」Powered by Ameba

変化

 この日記で「織田信長」という文字を書くことが多い。好きなんです、信長。日本の歴史上、突然変異ともいえる偉人だと思います。でも絶対に上司にしたくはありません。いつ殺されるかわからない・・・。柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀・・・天才すぎる主君を持ったことでかなりのストレスを抱えていたことでしょう。

 信長以前が中世、以後が近世と言われています。中世的価値観をぶち壊し、新たな世を作った。過去の慣習なんぞ関係ねぇ!と様々な政策を打ちだしました。もちろん戦略戦術においても。

 一言で言えば「変化」です。時代の小さな変化を捉え、その波を大きくさせて時代の先端を走っていく。変化のスピードは尋常ではありませんでした。ついて行けない武将だらけだったと思います。

 翻って現代。こちらも変化のスピードは凄いですね。それによって一昔より生きにくくなったと言う人も多いです。情報過多、価値観の細分化、希薄な関係性・・・。古き良き時代はすでに映画の中。

 でも僕は現代だって良き時代だと思います。今これからが最高!と思いながら生きるのと、今なんてダメだ!昔がいい!と思いながら生きるのではどちらが良いでしょうか?

 「病は気から」という言葉があるように、人は「気」によって身体すら左右されます。その未来をより良くするには今を受け入れ認めるところからしか始まりません。しょせん誰もが死ぬんですから楽しく過ごしたいでしょう?

 そんな考えを持ち始めて随分経ちました。それは楽曲にも顕れます。ちょいと説教臭い楽曲は全て上記のような考えから来ていると思います。目先のみに気を取られ、人生の大局を見誤らないようにしたいですね。願望です。

 そんな中、幻冬舎の見城社長とサイバーエージェントの藤田社長の共著を読んでみました。流石に先端を言っている両者だけに、色々と頷けるところがありました。印象としては見城氏はズバッとストレートな強肩ピッチャー。藤田氏は緩急使い分ける桑田タイプのピッチャー。あくまでも文章の印象ね。

 見城氏は言います。「今日と違う明日を迎えない限り、人は新しい景色に出会えない。日々新しい風景に出会い続けることが、生きるということだ」と。つまり「昨日の殻を破るのだ」と。

 これを読んだ時、自分は昨日の殻を破っているのか?と自答しました。答えは否。自分なりには小さな変化は重ねているつもりですが、殻を破るというレベルまでは行っていない。もちろん見城氏の言葉がすべてではありません。全く逆の哲学もあります。

 藤田氏は言います。「人間の頭は放っておくと硬直化するので、意図して変化をつけるくらいがちょうどいい」と。「ワクワク感」を自ら作ることの重要性を説いています。

 信長含め歴史に名を残す人は「この時代を何とかしたい!」という強い欲求があったと同時に、このワクワク感の快感を得たかったのではないでしょうか。変化することへの喜びを人一倍感じる人だったのではないでしょうか。

 鉄砲を初めて見た時にビビっと来た信長。将軍義昭から副将軍に!と要請されてもそれを断り、堺を直轄地にすることを望んだ。名より実。古臭い官位より、ワクワクする貿易の街「堺」を得る信長。感覚が抜きんでています。

 音楽製作においても変化は大事です。まあ演歌の人がいきなりデスメタルをやるような変化は要りませんが、みんな様々な立場で変化し続けています。それはコンピュータのOSやソフトのバージョンアップに近いかもしれません。マイナーチェンジを繰り返し、気づけば幅や世界観が広がっている。

 昨日の殻という安息地に浸っていては、新しい風景は見えないんですね。僕はまだまだ生きることを止めたくありません。みんなと一緒に新しい風景も見てみたい。共に同じ時代を過ごしているという奇跡に感謝しつつ、音楽家として一歩一歩進みたいと思います。