土曜日、日本テレビ『笑点』の収録で長崎県に行ってきました。
今回の震災被災地から遠く離れた九州・長崎県でも、飲食店のレジやコンビニのレジの前には東日本大震災に対しての募金箱がありました。
日本中がしっかりと応援しています。

長崎も水害の経験があり、水の怖さを知っているだけに他人事じゃない…とタクシーの運転手さんが言ってました。

翌日は北海道・札幌でライブがあり行ってきました。
長崎での笑点もそうでしたが、震災後…沢山のお客さんの前で漫才をする事自体が初めてだったので普段よりもネタ合わせをしたし、お互いのテンションも確認しながら舞台に立った。

札幌のライブでは、終了後に出演者全員でロビーに立ちお客さんから義援金のご協力を頂いた。
沢山のお客さんから声を掛けて頂き、札幌でもみなさんが被災地に対して心から応援している事が伝わりました。
うん、日本中が応援している!有り難い。


本日、休みだったのでかみさんと車で地元・仙台に行ってきた。
お互いの実家に行き、現状を確認しながらいっぱいお話をしてきた。
かみさんの実家はまだガスが供給されていなかったが、家族皆が元気だったので安心した。

ちなみに我が実家は2日前にガスが供給され、久々のお風呂にスゴく喜んでいた。
ガスを直しにきてくれたのは東京ガスの方だったという。仙台には、東京ガスや大阪ガス等、各地から応援部隊が駆け付けてくれている。本当にありがとうございますm(__)m


そして、僕がサラリーマン時代の会社の先輩と連絡を取り、被害が大きかった仙台市若林区の避難所になっている六郷中学校に行った。家が津波の被害で無くなってしまった方が暮らしている避難所だ。
元気な子供達も多く、笑顔も沢山見る事が出来た。
更に、老人保健施設ライフケアセンター名取や、大規模な避難所になっている名取文化センターにも行ってきた。
お年寄りが暮らす老人保健施設は、震災により定員をはるかにオーバーしながらも、職員さんが一生懸命介護していた。
もちろん、職員さんも被災者だ。
まだお父さんが行方不明だという職員さんや、家が津波で流された職員さんも…今やらなければならない仕事を懸命にやっていた。
 
更に、山元町にある特別養護老人ホームみやま荘・デイサービスセンターにもお伺いした。
ここでも、定員をはるかに超えるお年寄りに対し、フロアにもベットを並べ職員の皆さんが元気に対応していました。頼もしい限りです!
山元町役場に隣接する避難所にも行きました。やはり元気な沢山の子供達を見ると被災地ながら少し安心してしまう。
山元町役場の方から依頼され、地域の震災ラジオ『りんごラジオ』に出演し、山元町の皆さんに『一緒に頑張りましょう!』と声を掛けてきました。

山元町は僕の友達がいて、良く遊びに来ていた所なので特に心配していた地域。
友達の家を見に行ったら、家だけじゃなく、その辺り一体がまったく無くなっていた…。
高校時代の思い出の場所だったのになぁ。悔しい。
家族皆は無事だったと聞いていたが、その光景は信じられない位酷かった。

今回は、東京で大量に買った子供達用のお菓子やおもちゃ。更に、先輩に協力して頂きお年寄り用の膝サポーターやマフラーを避難所や施設に置いて来ました。
役場の方や、避難所の方から現状を沢山聞きました。
以前、山元町へ番組のロケに行った時にお世話になった鮮魚店〔たけだ〕さんは元気に営業してました!
震災翌日から、店内の商品を使い炊き出しをし、お腹を減らした地域の皆さんを救ってくれました。

美味しい『いちご』の生産でも有名だった亘理町、山元町。
いちごのハウスは壊滅状態。ストロベリーラインと呼ばれる道路は、瓦礫と海からの砂で覆われていた。

何とも言えない状況。

一面に広がる田んぼや畑には、流された車や瓦礫が散乱していた。
田んぼや畑に海水が染み込む…。また1から土を造らなければならない。
まずは、土から塩を抜かなければ…懸命にやっても少なくとも3年は苗付けも出来ないと言う。

山元町にも神戸から消防団が来ていた。
名取市の避難所にも鹿児島市や霧島市や大分市から沢山の方が応援に来ていた。
辛いけど、すごく辛いけど、応援してくれてる日本中のみんなの為にも、被災はしたけど無事で元気な人間は、そろそろ少しずつ立ち上がらなければならない。
『やるしかねーっちゃ!』
今日も、被災者から何度も聞いた。