<93/100> 山形城(山形県) | カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

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2023.04.30

 秋田から奥羽本線で新庄、新庄から山形新幹線に乗換えて山形に向かう。山形新幹線のるのはじめてだな、そう言えば。

 山形駅を降りて、山形城の南門を目指す。徒歩7〜8分かかっただろうか。水堀と石垣で囲まれているこの辺りは二ノ丸南追手門の跡で立派な門があったことを想像させる。

 門を入り石垣の裏に回ると、石垣の上に向かってまっすぐ階段が延びている。侵入してくる敵を石垣の上から迎え撃つための登り口なんだろう。

 説明が書かれている隣の看板には、発掘調査の結果に基づいて復元したと書かれていた。注目したのはこの石段のを“雁木(がんぎ)”と呼ぶということだった。将棋で王将を囲う形の一つとして「雁木」というのがあるが、ここから来ているのだろうか?駒の配置が段々になっているから名付けられたのか?しかし、段々になる囲みなら他にもいろいろあると思うのだが、不思議だ。

 さて、別世界で使われている言葉に反応してしまったが、先を進め本丸に向かう。公園の先土塁を回り込んだ先に本丸がある。

 本丸内は柵で囲まれており、中では本丸御殿跡の発掘調査が行われていた。将来的には御殿を復元するのか?計画があるのかないのかは知らないが、最近いろいろなお城で御殿の復元計画がある。もし“山形城本丸御殿”なるものが再建ったらまた来ようと思っている。

 南から入った本丸エリアを東へ抜ける。本丸の東の守りを固めるのが本丸一文字門。枡形となっており昔は奥に櫓門があったのだろう。現在は手前の高麗門のみ復元されている。

 さらに山形県立博物館の脇を通り抜けた先は、最上義光騎馬像と二ノ丸東大手門がある広場となっている。

 山形城といえばこの最上義光騎馬像。山形城の写真では必ずと言っていいほど登場する像、お城を象徴するような像は、あと仙台城の伊達政宗像ぐらいではないだろうか?この両名は、それだけ城を象徴する武将ということなんだろう。それにしてもよく倒れないなと感心して見上げた。

二ノ丸東大手門も木造で再建されたもので、規模は本丸一文字門より大きい。内部が見学できるようになっており、100名城スタンプもここでもらえる。スタンプを押し内部を見学後、門をくぐり城外へ出る。大手門の外は水堀と奥羽本線の線路が並行しており、その上に橋がかかっている。

 橋を渡り切ったところで振り返ると立派な二ノ丸東大手門全体を見ることができる。あいにくの曇り空ではあったが、最後門の全体像を写真に収め、山形城の見学は終了した。

 その後、仙台に向かう列車にはまだ時間的余裕があったので、近くの最上義光歴史館に立ち寄った。ここには“北の関ヶ原”と言われた「長谷堂城の戦い(最上義光vs直江兼続)」の際、最上義光が実際に着用し、銃痕が残っているという兜があるそうで、探してみたがあいにく敵方の米沢上杉博物館の特別展に出展中とのことで見ることができなかった。

 最上義光歴史館から徒歩で山形駅に戻り、仙山線で仙台へ。翌早朝は多賀城に向かうこととなっている。

 という訳で次回は多賀城。今年2月に一度訪れているが、その時は一面の銀世界で足場が悪くゆっくり全体を見ることができなかったので今回再訪することとした。