7月8日

3年以上pv数TOPに君臨する「椎名町・帝銀事件」

もはや無敵の記事と化してます。

 

まるでこの記事を超えるものが書けないみたい

なので、様々歴史・事件ネタを出しましたが、

 

牙城は崩せず。しかし、歴史研究をしてて

これのアンサー記事になりえるネタを見つけました。

 

まさか、帝銀事件と同じで現場が生活圏だったとは。

というわけで、帝銀事件の牙城に挑む「最後の大物」。

 

 

被差別部落名をさらしてるのを削除を求め提訴

https://news.yahoo.co.jp/articles/bcc8b71f84acbfd3d38d48987a26013e3796281c

 

 

狭山の住人だったのに「狭山事件」の

ことを知らないのは、どうよから始まった

 

今はどこにも載ってない(載せてはいけない)

狭山事件。どうして知ったのか自分でも謎だけど。

 

冤罪事件で係争中は今でもいくつもあるけど、

なぜ「表に出せない日本史」なのか。

だいたい「狭山事件」と名前がついてるのが謎。

さらに掘ると「同和問題」という社会運動絡みという

 

時代性を考えると扱いずらいもの

これも「NARITA」と同じで「昭和の暗黒面」でしょう。

 

 

どういう形でいつ記事化するかが問題。

帝銀事件と同じで学術文はいくらでもあるから。

 

 

「帝銀事件現場」の記事で「その場所が「歴史の暗黒面」

だとは知る由もないでしょう」

 

そう書いて締めました。

 

しかし、その言葉がまさか、

そのまま自分に帰ってくるとは。

事件は犯人が被害者を誘拐して身代金を

要求したあと、入間川に近いところであやめるのですが、

 

第一犯行現場、被害者を拉致った場所が

生活圏で、毎日のように通ってた場所だった衝撃の事実。

坂の名前と由来は書いてありますが、

狭山事件のことは当然ながら書いてません。

 

 

犯人が被害者をあやめたって場所は

画像検索したら出てきましたが見にいく気は起きません。

それどころか「知らなくていいことを

知ってしまった」感が強いです。

画像検索で出てきた現場は資料を集めるために、

記事やドキュメントをググったのと違っています。

 

この事件の何が本当かがわからないというのを表してます。

 

 

同和問題って昭和の終わりと共に消えた

歴史の暗黒面だと思ってましたが、

 

令和の今も生きてる「生生しい、今の問題」だとは。

もちろん、地理的には終戦後の貧民街と同じように、

 

言われなければわからなくなってますが。

 

 

平成まで「らい予防法」や「優生保護法」が

生きていたことを考えると、寒気がするのです。

 

 

<メンタル系中心の日記ブログもやってます>

 

AD