1月16日
廃村というと、山深い道路もないところにある、
探索には登山の装備をして行かなければならない
ようなところというイメージだと思います。
と、いっても奥多摩や名栗と東京から
近いところにもありますが、車道の終点から
登山になります。
しかしなんと、地名が今でも残っていて
駅から15分も歩けば全景が見え、
晴れてれば、散策コースになるところがあるのです。
そこは熊谷市新川。MAPを思いっきり寄せると
「幻の村・新川」のピンが出てきます。
地名が残っているのは、名栗の白岩など割とあります。
しかし新川は地名は勿論、電気が通って郵便番号まで
あるというから驚きの場所(〒360-0027ですと)
しかも最寄りの行田の駅から、徒歩で20分もかかりません。
その行田駅の裏なのに熊谷市なのは、行田駅のところに
行田市が張り出してるせいです。
「荒川の洪水で栄え、その洪水で滅んだ村」といわれてます。
洪水で栄えたのは、古くは農業で暮らしていたためです。
荒川の洪水によって、質のいい土が運ばれてきてたからです。
古代世界の三大文明のようです。
その後、荒川を使った水運が開かれると、その中継地として
大層栄えてたらしいですが、時代と共に輸送の手段は鉄道などに
移りました。繁栄は過去のものになりましたが、
変わらない荒川の水難で村は被害を受けてたため、
この地を出て堤防の外に移るようになり、
ついには誰もいなくなり、新川は幻の村になったとのこと。
水の博物館のオプションで見つけたのですが、
興味深いので、日を改めて行田駅に立ちました。
行田駅西口の荒川堤防の方へ歩いていくと、
マンションの裏に元荒川が流れています。
川を超えて堤防に登っていくのが旧中山道。
道なりに進むと堤防上にキャサリン台風で堤防が決壊した
場所を示す石碑があります。
そこに立つと旧新川村の全景が見渡せます。
荒川の周りは雑木林で川は見えません。
少し歩いたところに川の方に向かって下っていく
ダート道で河川敷へ下りて行きます。
道なりに荒川の方へ進むと、茂みの中に墓地がありました。
間違いなくここに村があった遺構です。
雑木林と畑が広がる無人地帯です。
畑は保存会が地主から借りて耕作してます。
河川敷ですが、国有地ではなく遊水池の扱いとのこと。
道沿いの小さな祠もかつて村だった証でしょう。
道沿いにある古墳のような茂みは、かつて家があった場所だそう。
行田駅の方を見てみると、その近さに驚きです。
水を汲むポンプのために引いてある電気。
電柱のプレートには「新川」の文字。
東京近郊とは思えない景色です。
船着場の跡だったところへ行く道がHPに書いてありますが、
長らく入っていく人がいないのか、消えてて歩ける
とこじゃありませんでした。
「幻の村・新川」の説明板。
雑木林に入ればほとんど秘境の趣。
村が消えた時から時間が止まっているかのよう。
そんな感じの村だったエリアをあるいていくと、
車が結構止まってるなと思ったらゴルフ場に出ました。
そのゴルフ場の横の道なき道を歩いた先の
薮に三島神社があるはず。
ここのアイコンとも言える埋まった鳥居が特徴。
それが見たくて探しましたが、竹藪が邪魔して確認できず。
鳥居は確認できませんでしたが、
竹藪の中に謎のものが。
これだけ竹藪が深いし、足元が危ういので仕方ないかと、
ゴルフ場に出入りする車が通る道を歩いて村を後にしました。
堤防の上の旧中山道に戻り、駅の方へ向かう道で外におりました。
堤防を下りるとマンションや住宅という現実世界。
なかなか味のある時空散歩でした。
ググるとおそらく地元の、細かいことまで
詳しく書いてあるブログがいくつも出てきます。
やはりこういう場所のことは地元の人にかないません。
