6月23日

清瀬郷土博物館の企画展で「武蔵野線50年」を

やっているので見に行きました。

 

 

私が生まれた頃は建設工事をしてたから、

計画自体はもっと前。物流の主役が国鉄だった時代。

 

もし、10~15年遅かったら、りんかい線と同じに

なってたかもしれません。

 

 

通過貨物列車を都内に入れないために、建設されたため、

走ってくるのは貨物列車がメイン。当初は今の武蔵野南線の

 

ように貨物専用線として計画されたと。

 

そのとおりで、駅は適当な場所だし子供の頃は

たまにしか旅客列車が走ってこなかったです。

 

 

東所沢なんか、なんでこんな山の中が終着なんだって

いわれてました。

 

 

でも日本初の自動改札機を駅に装備という。

ある意味最先端。

 

 

貨物のバイパス線だったのですが、貨物列車の削減と

外郭環状線という線形のため、高い戦闘力を持っていたため、

 

旅客数は右肩上がり。それによる増結、増発で

貨物と旅客の主役が入れ替わってしまったという。

ついには増発する貨物列車が、山手貨物線(埼京線)経由に

なるという。

(湘南新宿ライナーのあと、時間に余裕ができるのか

追いかけて新宿とか通過してるのを昼間見ることができます)

 

 

乗り鉄的おもしろさは交差する幹線と

裏街道でつながってるおもしろさでしょう。

 

 

八王子ー大宮の「むさしの号」は

秘密の経路を通りまくるので乗ってて面白いです。

 

 

しかし、北海道の新函館北斗ー長万部が

もしかしたら武蔵野南線状態になるかもしれないとは。