5月2日

 

1〜2年前の今月描いた記事って出ますよね。

2年前の記事が表示されていたんで、読んだんです。

 

自分が描いたのに今より文章のテンポが

いいではありませんか。先走り気味といえば

 

そうですが、あのポンポンと短文で

走る文体を取り戻したいです。

 

 

前回の武蔵八丁特飲街跡は、古くから住んでいる

年配の人しか知らないのではないかと思います。

 

三鷹といえば「太宰治」のようで、

駅の案内図やゆかりの場所には

 

説明板がありますが、三鷹事件については

まったく記述がありません。

慰霊碑は太宰治のお墓の近くにあるみたいです。

しかし書かれてません。やはり消したい史実ってことでしょうか。

 

事件から50年の碑もあるようですが、

場所がわからなかったのと、日が短くて暗く

 

なってしまったので、慰霊碑と共に

訪ねられなかったので、機会があれば立ち寄りたいです。

 

 

その三鷹事件は、以前書いた下山事件に近い

戦後の混乱期。国鉄が発足した初期のことです。

 

 

ググればくわしい学術的な記事がありますし

本も出てるので、専門的なことはそちらに。

https://ja.wikipedia.org/wiki/三鷹事件

 

 

事件は1949年7月15日。三鷹電車区に止まってた電車が、

突然無人で暴走し、駅のホームを突き抜け

 

車止めに激突しただけでなく、そのまま突き破って

脱線転覆し線路側の商店などに突っ込んで、

 

死亡6名、負傷者20名の大惨事となったのでした。

 

 

読んだ記事の中に「南口の交番を突き抜け、

玉川上水のところまで走って行った」というのがありました。

 

画像検索をしたら想定されるルート図がありました。

 

 

当然のことですが、駅と周りの様子もまったく変わってます。

唯一同じ位置ではないかと思ったのは、南口の交番でした。

 

南口は入口が2階なので

階段の下でわかりずらいですが。

そして今の1番線は中央・総武各駅停車(黄色のカラー)の

折り返しがメインで行き止まりにはなってません。

 

また、電車が転覆して突っ込んだ商店街は

今はなく、橋上駅になったのでビルの端と

 

バスターミナル兼テラスのような

スペースではと推測されます。

 

 

この事件は犯人とされる人が他の事件同様、

事実はわからないまま逮捕され、裁判で有罪、

 

しかも死刑判決が出されましたが、

有罪の決め手がなく矛盾が多かったことから

 

冤罪を訴えながらも

病気で獄死してしまったそうです。

 

 

多くの疑問点がありながら真実は闇の中。

この事件も暗黒面の力があったのでしょう。

 

 

この時代をDIGると知られてないけど、

「教科書に絶対載らない日本史のタブー」が

 

たくさん出てきそうです。

 

 

そんな黒歴史ですから、

三鷹市的には、イメージ的にも

 

隠してしまいたいことなのでしょう。

なので、表に出したくないのも納得できます。

 

 

この事件もDIGればDIGるほど帝銀事件同様、

ダークサイドに引き込まれていきそうです。

 

 

戦後国鉄三大謎事件の3つめ「松川事件」は

現場が福島の松川あたりで遠征になるので、

 

GWにでもと思いました。けど、資金難と現場は慰霊碑

だけなので、そのためだけに新幹線に乗って出かけるのは...。

 

取材して作品にしたり、原稿料もらってるわけじゃないし。

 

 

しかし、場所自体が東北本線が複線化した時、

勾配の関係で上下線が別線のように分かれる線形が

 

趣味的におもしろく、興味深いところです。

 

なので、他の目的で近くに行く機会があったら

寄りましょうかということにしました。

 

 

このシリーズは内容が内容だけに

シリアスになってしまいすみません。