12月26日

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去年はジャイアンツ発祥の地を訪ねました。

今年はタイムリーに球場ネタ、前後編。

日頃FM YOKOHAMAを流しっぱなしに

してるのは以前書きましたが、

 

横浜ですから当然ベイスターズ推しです。

今は横浜球場がフランチャイズの同球団。

 

 

「そういえば、川崎球場はどうなたんだっけ?」

まだ、「マルは」の大洋ホエールズ時代。

ネットでひろいました・川崎時代の写真が意外とないんですよ。

 

 

その名とは裏腹に巨人などに「お客さん」に

されてた最下位が定位置のチームが横浜に移って

 

横浜大洋ホエールズになって...の話は本筋から

それるので省略。

 

 

その「大洋ホエールズ」のフランチャイズが

旧川崎球場。ここの一番の特徴(?)は

 

「ホームランが出やすい」でしょう。

理由は単に球場が狭かったからですが。

 

そのため、外野フェンスが他よりも高かった記憶が。

 

 

王さんが場外ホームランを度々出して、そのため

スタンドの上にフェンスが作られたなんて初めて知りました。

 

 

大洋が横浜に引っ越した時に一悶着あったそうで。

そのあと、どうなったか思い出せませんでしたが、

 

東京球場から追い出され、流浪の民となってたロッテが

大洋に替わってフランチャイズになったのでした。

こうして選手単位で見ると弱小チームに見えないんですが...。

 

 

そのころはリアルタイムだったけどいまいち記憶が。

何より観客動員の少なさで、みのもんた氏の出世作

 

「プロ野球珍プレー・好プレー」で名作が

数多く生まれたのを読んで思い出しました。

 

ちなみに彼、このナレーションの仕事の話がきた時は

ほとんど仕事がなくて、受けるのが

 

「ファイナルアンサー」だったとか(笑)。

 

 

珍な話ばかりではなく、村田兆治が

200勝をここで達成したとかロッテの有名選手の

 

エピソードが色々。でもロッテなんで。

 

 

結構前後が長いので、くわしくはここを。

https://ja.wikipedia.org/wiki/川崎球場

 

 

 

川崎駅から20分くらい歩いた競輪場が大盛況の

「富士見公園」の一角「富士見スタジアム川崎」という

 

サッカーやアメフトなどのグラウンドに。

訪問した時は大学アメフト大会が行われてて

 

近くまでは行けませんでした。

となりには少年野球場。

 

なんと、公園の交差点が「川崎球場」。

名前がしっかり残ってました。

川崎球場の名前は避難経路図にも。

そしてなんと大きな遺構が。

どう見ても球場の照明灯が。

川崎球場は終わっていませんでした。

 

この角度から見ると球場の面影が残ってます。

 

 

そして、自分にとっては生まれる前で

「東京球場」というものが荒川のほうにあった。

 

程度でしたが、関連場所として知ってしまったら

行かないわけにはいかないでしょうと。

 

上野から日比谷線で簡単に行けてしまうので、

子供の頃の記憶にしかなかった東京球場の

 

跡地を見に行くとこにしました。

 

 

球場ものは散歩系では穴ですが12球団関係だと、

チームの長年のファンや地元の人が、

 

くわしくかいたブログがあるので

割と調べやすいです。

 

 

子供の頃カード欲しさに買いましたね〜「プロ野球チップス」。