今やっと、わたしは

自分のために表現することをはじめた


何かを創ることが

ずっと好きだったけれど

今までは

誰かに認められるため

愛されるため

お金を得るため

いろんな理由でやっていた


誰の役にも立たなくて

なんのためにもならなくて、

ただ自分のためだけに

表現をするということが

どうしてもできなかった。

そんなこと思いもつかなかったし

意味も見いだせなかった。


今は誰かのために物を創ることよりも

わたしのために文章を綴ることを

大切なことだと思える。

そのことがうれしい。



ブログをはじめる前に望んだことがある。


「誰にも好かれない方の自分を愛したい」

「誰からも選ばれてない自分を、誇り思いたい」



いつも誰かの機嫌を気にして生きてきた。


でもあるときふと、

他人が好きな自分しか、

いい、と思えない自分を

あまりにも虚しいと思った


なんて中身がない人間なんだ、

と愕然とした


誰かに好かれた「わたし」だけ

“わたし”として認められるなんて

それじゃあ、他の「わたし」は

どこに行ってしまったんだろう

好かれなかった「わたし」たちが

追いやられて捨てたられてきた「わたし」たちが

あまりにもかわいそうだった



いつも、

どんなに場所を変えても

わたしはずっと

「こいつに好かれなくては死ぬ」

というの呪いを生きていたのだと気づいた。


その呪いを解くゲームをはじめるために

「誰にも好かれなくても生きる」

「誰にも愛されない自分を殺さない」

ということをはじめたのだと思う。



わたしのためだけの表現が

この先きっと、わたしをたくさん救ってくれる

わたしのためだけの文章が

きっとわたしをたくさん助けてくれる

そんな気がする

そう信じてる


だってそういえばわたしはずっと

これまでも言葉を、感情を、思いを

ずっとずっと人知れず綴ってきたんだもん

落ち込みやすいわたしが、

わたしのためにはじめた日記から20年、

こうしてここまで繋いできた

20年の月日

20年間、言葉がわたしを

支えてくれていた

ううん、本当はもっとずっと前から

保育園のとき、はじめて文字を読めた瞬間のことを覚えてる。

あの時から、もうずっと、文字が、言葉たちが

わたしを救い、支え、生かし続けてきたんだ。

学校で毎日図書館に通ってたときも

大好きなバンドの歌を聴いてたときも

人生が行き詰まって夜中の本屋に行ったときも

生き方を探してブログというものに出会ったときも

ずっとずっとずっと、

わたしの生命を支えていたのは

誰かが書いた文字だった。言葉たちだった

「もう本当にだめだ」

と思うとき、

いつも絶対にそのタイミングを逃さず

信じられないような言葉たちが

わたしのもとに来てくれて

ふいに生命をすくいあげてくれた

そして今も、変わらず、ここに、

そばに、いてくれる


ありがとう、みんな

あいしてる


間違いなく、あいしてる