「わたしのなにが悪かったのかな」
って考えるクセがある。
具合が悪くなると
「なにが悪かったのかな」
人の機嫌が悪いと
「なにが悪かったのかな」
返事が返ってこないと
「なにが悪かったのかな」
病気が治らないのは
わたしの一体なにが悪いんだろう
苦しいのは
わたしの一体なにが悪いんだろう
これって原因を追求してるようで
無意識に四六時中
自分を責めるための材料を探してる。
しあわせにならないための
理由を探してる。
自分の中のマイナスを、
不足を見つけるための
努力を、絶え間なくしている。
本当は
あなたはいま、
そのままのあなたで
しあわせを感じてもいいんだよ。
大丈夫。安心して。
寝たきりだろうが
病気だろうが
役に立ってなかろうが
本当になんっっっっにもないままで
いま
しあわせになっていい。
こわいかもしれないけど、
あなたがしあわせになっても
恐ろしいことはなにも起きないよ。
大丈夫。
だってみんな本当は
同じようにしあわせなんだもん。
外側が違うから、違うように見えるけど
しあわせの形が人それぞれ違うから
幸・不幸に見えるけど
ほんとの中身はみんな
同じもので出来てるんだもん。
しあわせであるために
なにか付け加えよう、
なにか得よう、
としてませんか?
しあわせであるためには、
しあわせでない理由探しを辞めること。
自分を責める材料を探さないこと。
そして、代わりに
しあわせになる許可と覚悟をすること。
自分をしあわせにするための材料を探すこと。
わたしを愛する方法を、考えること。
心と身体が喜ぶことってなにかないかな、って
質問を自分に投げかけ続けること。
「考えること」の本来の使い方。
思考は自分をしあわせにするため、
愛するために使うんだ。
傷つけていたそのエネルギーを
まず鎮めて、
そしてシフトさせる。
毎瞬、気づいたときからはじめられる。
何回でも、やり直せる。