一青妙さんのTwitterに寂しくて悲しいお知らせを発見しました。
台中の人気スポットである彩虹眷村の彩虹爺爺(レインボーおじいさん)こと黄永阜さんが101歳でお亡くなりになられた、との知らせです。
とても楽しく、誰もがハッピーな気持ちになれて笑顔でいられる彩虹村。
そんな彩虹村が誕生したきっかけは、黄おじいさんが老朽化して人が少なくなったかつての軍人村を美しく鮮やかに彩り始めた事からでした。
まだ台中を訪れた事がない頃からずっと行ってみたかった場所で、念願叶って初めて台中に降り立った際には高鐡駅からタクシーに乗って真っ先に彩虹村を訪れたほどです。
↑台鐡台中駅ではなく、高鐡台中駅から近い場所にある彩虹村。
駅からタクシーで行くのが手っ取り早いです(ちなみにここから台中市街地へは300元程度)。
初めて訪れた彩虹村は、ちょうどその時運悪くリニューアル工事中。
それでも集落中にびっしりと描かれている黄おじいさんの絵からはおじいさんの願いや祈り、かつてこの集落が賑やかだった頃の様子を窺い知れるような気がして思わず涙してしまいました。
運の良い事におじいさんにもお会いする事が出来、とても嬉しい気持ちで彩虹村を後にする事が出来たのです。
その記憶もまだ新しい数ヶ月後、再び彩虹村を訪れました。
リニューアル工事も完了しており、村には新たに「黄おじいさん資料館」的な施設まで誕生しておりました。
ますます観光する人も増えていて、さらに賑わう彩虹村。
しかし、何となく「?」と違和感を感じてしまう光景でもありました(賑わっているのはとても良い事だと思いますが)。
それから数年後、まだ台湾と日本の行き来が復活していなかったコロナ禍中に彩虹村に関するあるニュースが飛び込んで来ました。
もはや単なる人気スポットでは無くなってしまい、台中の代表的な観光地の1つとして海外からの旅行者もたくさん訪れている彩虹村。
いろんな人や企業の思惑が入り混じって起こってしまった事だったようです。
日本と台湾が以前のように行き来できるようになってから、まだ私は台中を訪れてはいないのでその後彩虹村がどうなっているのかはわかりません。
時々「おじいさん、お元気にされてるかな…」と思い出してはいましたが、思いの外お別れの時は早くやって来てしまいました。
↑「老兵(おそらくおじいさん自身の事)在」と描かれていました。
もうここに行ってもおじいさんはいらっしゃらないのが寂しい。
とは言え、波瀾万丈な人生(戦後中国大陸から台湾へと移住されて来たのだから)を送って来られたおじいさんが、いろんな出来事を乗り越え、村を訪れたたくさんの人たちを幸せな気持ちにし、101歳というお歳でこの世を去られたのですから、私が言える言葉はこれだけです。
彩虹爺爺、ありがとうございました!
そして、長い間お疲れさまでした。
いつか私がそちらへ旅立った時にはまたいっしょに写真を撮ってくれますか?
黄おじいさんのご冥福を心からお祈りします。
↑今よりかなり重い頃の写真でお恥ずかしいですが、おじいさんとの記念の写真なので…。