いつもなら、どんな記事でも何かしら旅に関係のあるエピソードを盛り込むのですが、今回は超絶プライベートなブログねたで失礼します。
先週末は私たち夫婦にとってのある記念日でした。
という事で、自宅から唯一歩いていけるレストランに予約して出かける事に(何年ぶり!?)。
普段はお昼にちょこっと食べに行くぐらいで、お正月やクリスマス、誕生日なんかも愛犬と一緒にお祝いしたいので自宅で過ごす私たち。
はっきり言って「めんどくさいな」と思わないわけではありませんが、だからこそ久しぶりのプロが作る手の込んだ(絶対に自分では作れない)お料理はどれもこれも「感動!」の一言でした。
前菜からメイン(魚&肉)、デザートまで食事制限の事はしばし忘れて堪能しまくりです。
*ただ、1つ失敗したのは出かける前にBSでやってたケンコバさんの「今夜はビジホに泊まりたい」という番組の録画を2人して観てしまい、すっかり「居酒屋、もしくは焼肉の口」になりながらお店に向かった事…。
↑この番組面白かった!続編希望です。
という事で「#大人になって手に入れたもの」(「もの」ではないけど)はやはり夫、だと思います。
子供の頃から何かと言えば手を上げる父親と暮らしていたので、家と言えども一瞬も気を抜けませんでした。
そして、母親からは事あるごとに友達や従姉妹(要するに同年代の女の子)と比べられ、弟ばかり可愛がっている様を見せられて来ました。
もうすでに2人とも亡いので悪く書くべきではないだろうし、父親の方とは和解すら出来なかったので今更こういう事を言うのはフェアではないかも知れません。
しかし、私と言う人間の人格形成にはかなり影響を与えられた育てられ方だったと思います。
自分自身に対する自己評価は今だに限りなく低く、大人になってからの人間関係はうまく行かない事ばかりでした。
もう、そういう人間関係はいらない。
私なんてどうせそのうちそこら辺で行き倒れて死ぬのが関の山なのだから、もうどうなったって良いんだ。
その日が来るまでは悪い事でも何でもして生きてやる…
と、全てにおいて投げやりを通り越して自棄っぱちになっていた頃、神様が「おい、ちょっと待て。もう一回だけチャンスをやろう」と言ったか言ってないかは知りませんが、夫に出会う事が出来ました。
それがちょうど20年前のことだったのです。
夫はこんな私のどこを気に入ってくれたのかは知らないけど、出会ってからしばらくして一緒に暮らし始め、それ以来ずっと一緒にいます。
夫は真面目な人で、私は夫のそんな所を一番尊敬しているのですが、私のような規格外の女ではなく、もっとまともな女性と一緒になっていたらもっともっと幸せになっていたかも知れないのに…と今でも思います。
その事は以前夫に話した事があるのですが、その時は「でも、そんな人と一緒になっても面白くないんと違うかな」と言っていました。
その言葉はどれぐらい本気で言ったのかは知りませんが、夫に言われた事の中で最も嬉しい言葉の1つ(最近言われた「でも前(今より40kg以上太ってた頃。いや、今も太ってるんですが…)も可愛いと思ってたで」と1、2を争う)です。
↑ビフォー&アフターはこの記事に…。
今でも残念なのは、そんな夫との間に子供が出来なかった事です。
私はもう47歳だし、卵子も凍結してなかったので、かなり激しいミラクルでも起こらない限り夫との人間の子供に会う事は出来ませんが、可愛い愛犬もまた「#大人になって手に入れたもの(ものではないけど)」です。
そんな愛犬も10月で15歳。
もう、そんなに長くは一緒にいられないかも知れません。
それを考えるだけで怖くて仕方がないし、涙が溢れてしまいますが、あの時この子を迎えなかったら…という事は想像すら出来ません。
この小さな愛犬が、どれだけ私の気持ちを楽にしてくれて、私たち夫婦を毎日笑顔にしてくれている事か…。
かつて(夫に出会うまで)は家にいても不安で仕方ない日々を送り、「いつか本当の家と呼べるものが私にも出来るのだろうか?」と思っていました。
しかし、今はそんな場所があり、そこに花や木をたくさん植えてくれる夫がいます(そしてその庭を走り回る愛犬も!)。
荒れた生活をしていた頃に心の底から望んでいたのは「普通の人になって普通の生活をする」という事でした。
内情はどうあれ、街中で見かけるごく普通の夫婦や家族が羨ましくて仕方なかったのです。
安心して愛され、自分も愛する事が出来る。
その気持ちもまた、「#大人になって手に入れたもの」なのだと思います。
しかし、限りなく自己評価が低くてネガティブな私は「これで夫に他の女がいたら、もう2度と誰のことも信用出来なくなるな」などと言う考えをついしてしまうのでした。
まぁ、こんな人間でも何とか生きてるって事で…。