韓国だけでなく、今や世界中で話題の「82年生まれ、キム・ジヨン」が映画化され、この秋に日本でも公開されるという。


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タイトルの「キム・ジヨン」は、これまたタイトルの「82年生まれ」の韓国人女性で一番多い名前から来ているのだそうだ。

その「82年生まれ」の「キム・ジヨン」さんという、夫と小さい女の子の子供がいる生活を送る女性が、ある日突然異常な行動(他人が乗り移ったかのような言動をするようになる)を取るようになり、それによって精神科を受診する事になる。
担当医とのカウンセリングで語られたキム・ジヨン氏の生い立ちから現在までの記録がこの作品の内容であるのだ。

内容に関してはぜひ作品を読んで頂きたいのでここでは省くが、国は違えど「76年生まれ、ノムラ・ミキコ」も同じような体験をたくさんして来た。

子供の頃から何度も何度も言われた

「女の子なんだから家の手伝いをしなさい」
「女の子なんだから赤やピンクを選びなさい」
「女の子なんだからそんなに勉強しなくていい」
「女の子なんだから大学への進学は弟に譲るように」
「女の子なんだからお嫁に行ったら家事ができないと困るよ」

…エトセトラ、エトセトラ。

これらの言葉を両親や親戚、学校の先生や近所の大人(つまりは周りの大人のほとんど)に言われるたびに「何で?」と思ったし、不愉快に感じたものである。

私は13歳で母を亡くしたので、家事は早くから「しなくてはいけないもの」としてやって来た。
さすがに中学生の娘に家事の全てを託される事はなく、家族で分担してやって来たが、周りはよく美談として語られるような「母親代わりの長女」を自分に求めているのだ、という事はよくわかった。
*進学云々については私が育った家庭が特に古い考え方だったのもあるし、経済的な問題もあった。
学校の先生など「よその大人」からは大学に行くように言われたし、(女性の)友人たちも大抵は大学や短大、専門学校に進学していたように思う。

今は結局「専業主婦」というものに落ち着いているので早くから家事をやって来た経験は決して無駄にはなっていないとは思う。
それに、家事は生活を営む上で誰でもやらねばならない事であるし、「女性だから」やらないといけないというものではない事は世の中にも浸透して来ているとも思う。
しかし、やはり未だに家ではテレビのリモコンまで妻に取らせ、靴下まで履かせる夫はいるだろうし、「家事=報酬が発生しない」という事で経済的に苦しめられている専業主婦(夫)もたくさんいると思う。

主婦論は始めるときりが無いのでこれぐらいにしておくが、この小説の主人公である「韓国の女性」のイメージとは一体どういうものだろう?

もちろん、世代や生まれ育った場所や家庭の状況によって異なるとは思うが、何度か韓国を旅した中での私の印象は…

「韓国人女性=働き者で世話焼き」

というものが大きい。

現に滞在中に市場や食堂に行くと、朝早くから夜遅くまで元気に働く女性たちが迎えてくれる。

↑ひっきりなしに手を動かし、客への目配り・気配りを怠らない。
↑朝早くからテキパキ働く韓国人女性。
↑この女性は朝行っても夜行ってもいらっしゃった。
↑市場の主役は常に女性?
↑元気で働き者で世話焼きな韓国人女性には本当に頭が下がる。
↑寒い韓国の冬の日に、熱々の屋台フードを食べると心まで温かに。

若い女性も例外ではなく、空港や街中で見かけるテキパキ働く彼女たちを見ると、つい惚れ惚れしてしまう。

このように、「働き者で世話焼き」という事はもちろん長所であり、美徳であると思うのだが、だけどやっぱりちょっと待ってほしい。

まだ私が10代の頃に読んだ本に「韓国人の家庭では家で宴会をする時には女性はずっと台所で立ち働き、男性は座って酒を飲んだりご馳走を食べている」という事が書いてあった。
これは、私より少し上の世代の女性が大阪の在日コリアンの家庭で見聞きした事である。

「キム・ジヨン」にもそれと似た場面が登場していたのだが、よくよく思い出すと私が子供の頃も同じだった。
祖父母の家に盆や正月に行くと、長男の嫁である伯母(もしくは叔母)を筆頭に、母や伯母たちという一族の女性はずっと台所から出て来ず、家事をするために立ち働いていた。
そんな中祖父や父や伯父たちは酒を飲み、お節料理などを食べ、疲れたら昼寝をしていた。

そういう場面を見たり、聞いたりして私はもちろん「結婚したら自分もああいう風に働かないといけないのかな。嫌だな」と思ったものだ。

今、私は幸いにもそんな場面に出くわす事はないが…と書いて気がついた。
正月であろうと盆であろうと、普段の週末ですら、いや毎朝毎晩わが家の台所に篭っているのは結局この私なのだった。

韓国ドラマで観たり、実際に韓国人の夫やボーイフレンドがいる方は口を揃えて「韓国の男性は優しい」と言う。
確かに、韓国で街を歩いている時などに観察していると韓国人男性は優しい。
韓国の街で困っていたら、真っ先に声をかけてくれるのは大抵老若男性である。

↑記念日が一年に何回もあるという韓国人カップル。
ペアルックも普通だし、とにかくラブラブであるように見えるが…?

だけど、この小説を読んだという女性アイドルがその事を発言しただけで「フェミニスト宣言」と取られ、大炎上したとは一体どういうわけなのだろう?

って言うか、なぜ女性が女性の人権を主張する考えを表明するのがだめなのか?

女性に優しくするのはいい事だと思う。
何だかんだ言っても大抵の女性は男性より力が弱かったりするものだ。
だけど、自分の庇護下に置いて必要以上に女性を守る(小さいバッグでも持ってあげるとか)という事は、女性を対等に見ていないという証拠なのではないだろうか?

「#MeToo」運動のようなものが今の時代にあれほど盛り上がりを見せたように、女性はまだまだ抑圧されている。
なぜなら、そんなムーブメントが無ければセクシャルハラスメントや性的暴行という犯罪を白日の元に晒して糾弾する事さえ出来なかった人がたくさんいるのだから。
しかし、「#MeToo」運動が盛り上がっている時ですら、声を上げられたのはごく一部の女性たち(中には男性もいると思う)だけであったはずだ。

まだまだそんな世の中なのである。

これまで、どれだけ多くの女性が見られたくないのに性的な目で見られ、被害に遭って来たのだろう?
なぜ、女性であるというだけで男性から勝手に選ばれないといけないのか?

「もっと痩せてたら付き合ったるのに(今までの人生で言われてムカついた言葉ベスト10に入る)」
「もっと愛想良くしないと嫁に行けないぞ」
「女なんだからもっと料理の勉強しろ」
「女のくせにそんなに食うな」
「その服は派手過ぎる」

…などという、心ない言葉で勝手に私やあなたという女性を性的にジャッジして来た人間を、これ以上受け入れる事は出来ないのである。

そんな風に見られるために女性として生まれたわけではない。
本当に心からうんざりしているのだ。