前回の滞在記はこちら(釜山滞在記2019.2.22③これも二晩連続!?)をどうぞ。

まだ暗い中、目が覚めた。
カーテンを少し開けると、外は明るくなり始めたばかりのようだった。
スマートフォンの画面を見ると時刻は6時過ぎ。
まだ起きるには早い気もするが、最終日のこの日は朝から行きたい場所があった。
起き上がって歯を磨いて準備を始めよう。

部屋もチェックアウトしてから出かける事にした(このホテルのチェックアウト時間は11時。その時間に戻って来れるとは思えなかった)ので、さらに忙しくなった。
忘れ物がないようにパッキングして(いつものごとく夫がほとんどやってくれたが)、スーツケースの重量も計る。
エア釜山はLCCなのに荷物を預ける事が出来るが、少なめの15キロまでなのであった。
ただ、重量制限が気になり、野放図に買い物しているようでいて、やっぱり気にしていたようだ。
それぞれのスーツケースはまだ少し余裕がある重さだった。
*特に私のスーツケースは大型なので「すぐ15キロになるわ」と散々脅されていたので、欲しかったものも我慢したぐらいなのに…ムカつく!

部屋のドアを閉め、フロントに行き、チェックアウト。この時間が毎回寂しい。
スーツケースを預かってもらって、いざ出発。

釜山タワーが見える風景とも今日でしばしの別れである…。

ホテルを出ると「青春通り」(コネストの地図によると)という道に出る。
その道を左に行くとすぐに光復路に出られるのだが、今回は右へ。
まだ開いていない服屋さんのショーウィンドウを眺めながら2ブロックほど進むと、目的の「シンチャントースト」が見えてくる。

ちなみにシンチャントーストのシンチャンはこの辺りが「新昌洞(シンチャンドン)」だからだろう。

まだ少しくらい街で灯台のように灯りをともして周りを明るくしている一軒の小さな店が目的の「シンチャントースト」だった。
店先でトーストを作っているご主人がメニューの説明を日本語でしてくれる。
2人ともスペシャルトーストとフルーツジュースを注文し、お金を払おうとすると「お金は後からね。中に入って座って待ってて」と優しく言ってくれた。
*こちらのご主人、この後やって来た中華圏のお客には中国語で説明を始めた。語学力の高さに「これは見習わねば!」となぜか焦った。

店内の壁には世界中からやって来たお客さんからご主人へのメッセージが。
世界中の人から愛されているのがわかる。
ミシュランの星付きレストランより、こんな店が私は好きだ(が、この店もビブグルマンに選ばれたりして…)。
メニューはこんな感じ。
スペシャルトーストは具全部入り。
よほど苦手なものがない限りスペシャルで間違いないと思われる。
説明された時「スペシャルはハムとチーズと卵とジャムね」と言われ、一瞬「えっ!」ってなったが、実際食べるとジャムはほぼ気にならなかった。
全ての具の味が上手くマッチしているのだろう。

店の引き戸が開き、ご主人登場。
手には私たちのものと思われるトーストとジュースが乗ったトレー。

このトーストに巻かれた紙のおかげでめちゃくちゃ食べやすい。ちょっとした事かも知れないが、ご主人の心配りだ。
ジュースはキウイが入ってるから緑。

トーストがやって来た!
なんて言うか、とにかく美味しそうの一言である。
今まで海外でやれ、フルーツがたっぷり乗ったワッフルだ、エッグベネディクトだ、とお洒落な朝ごはんにはしゃいで来たが、この優しさと温かさと安心感は至高だ(大げさか!でも結局こういうものが一番美味しく感じてしまう私だ)。

一口食べてみると、ジュースも含めて昔母が作ってくれた朝ごはんのような味がして、ちょっと泣きそうになった。

食べ終わり、席を立つ。
表にいるご主人にお金を払い、「カムサハムニダ」と言って日本語で「また来ます」と言って店を後にした。

再び来た道を戻り、光復路を渡り、BIFF広場を通って大通りに出た。
そのまま南浦駅とは反対方向に歩き、大通りの交差点で右に曲がる。
そして少し歩いた所にあるバス停に到着。
これから、マウルバスと呼ばれる小さなバス(日本で言うところのコミュニティバス)に乗り、とある場所に向かう。
そこは前回の釜山旅行でも行きたかった場所だが、生憎天気に恵まれず行けなかった場所である。
バス停には一台のそれらしきバスが停まっていたが、そのバスは違う行き先らしい。
バスが去り、もう一台やって来る。そちらが目的地行きだ。
 
可愛いバスに乗り、出発!

バスはしばらく走ると大通りから住宅街の方へと入った。
そしてだんだん勾配が急になり、ものすごい坂道を上って行く。
バスに乗っていたおばあさんはこのバスを生活の足にしているらしく、途中でブザーを鳴らして降りて行った。
こんなに坂だらけの街に住むことは本当に大変な事だと思う。ましてやお年寄りなら尚更だ。
私が住む町も結構坂だらけなのだが、この町に比べたら全然ましだ。

そこからしばらく走ると、終点甘川小学校前だった。
バスを降り、夫と2人歩き始めた。
この甘川文化村は集落にある家や建物に壁絵を描いたり、家をカラフルに彩り、それが美しいと評判を呼んで観光地化に成功した場所なのである。

百聞は一見にしかずなので、まずは村の様子を見て頂きたい。

綺麗なウォールアートがあちこちに。
観光案内所などでスタンプラリー(兼地図)を購入して村を回ろう。私たちはサクッと見るだけの予定だったので買わなかったが、見所などが書いてあるらしいので買うべきだった…。また行かねば。
パズルの絵の世界が目の前に!
人気スポット。
午前早めの時間だったので人も少なめだったが、人気のこちらには列が出来ていた。
みんなこの星の王子様の隣に座って柵の向こうに足を投げ出していたが、高所恐怖症の私には無理!
石の階段を本に見立てている。
海も見える。
カラフルな家々がまるで絵本の世界のようだった。
こちらが入り口。
帰りのバスはこの向かい側辺りから出ている。
また行きたいと思う。

土曜日の午前早めの時間だったので、人もまだまばらで晴れていて、気持ちよく散策する事が出来た甘川文化村だった。
街のあちこちにカフェや食べ物屋や土産物店があり、完全に観光地なのだが、あくまでも普通に人が住む町であり、生活の場なのだ。
朝早過ぎる時間や夜遅くに出かけて騒ぐなどというような迷惑な行為をせず、節度を持って見学したい。
なお、トイレはわりとあちこちにあるので安心して欲しい。
私もお借りしたが、とても綺麗なトイレだった。
しかし、紙が無かったのでティッシュをお忘れなく…と偉そうに書いたが、その私こそが「ティッシュ!持ってなかったかも!?」と一瞬パニックになったのだった。
しかし関空出発時に税関の職員の方がくれたティッシュを持っていたのを思い出し、セーフ。


韓国ではこのような急勾配の坂にある集落を「タルドンネ」と言う。意味は「月の町」である。
一見美しい言葉に感じるが、「月に手が届きそうな坂道や丘の上のような高い場所にある貧民街」の意味がある言葉である。
戦後(第二次世界大戦や朝鮮戦争)、住む場所を失ってしまった人や、他の土地から避難して来た人々がこのような場所に住み始め集落となったらしい。
ただし現在では(廃墟化した)空き家も目立ち、高齢化も著しい。
この甘川文化村は公共美術プロジェクトにより美しい集落に変貌し、観光地化が成功している。
甘川文化村のような観光地化が成功し、賑やかな集落もあれば、未だ生活のインフラ整備が不十分で人通りもまばらな集落もある。
なお、先ほども書いたように空き家が増え、防犯上問題がある故に壁画などのアートを施す集落が他にも増えているそうだ。

第二次世界大戦にしろ、朝鮮戦争にしても、戦争というものは後々の世にまで爪痕を残してしまう。
美しい甘川文化村の風景を胸に刻み、何ともやりきれない気持ちになった。