そんな記事をyahooニュースで見つけました。

 

30年って、感慨深い。

ふだん忘れていても、記憶の扉がブワーッと開きますね。

 

1991年は、私が海外を放浪していて日本に戻った年。

(その辺りは、ワタシノオハナシで)

 

 

久しぶりに親友と会う約束をして、その頃に開催されていた

「世界陶芸祭」 に彼女が行きたいと言うので、行くことに。

 

電車の本数が限られていたので、一緒に乗る電車の時間を

調べて、駅で待ち合わせ。

 

本当なら、事故を起こした電車に乗る予定でした。

でも、たまたま2人とも予定より早く駅に着いて、予定より

1本早い電車に乗ることになり。

 

 

そこで運命が変わったんですね。

 

 

 

 

おそらく、陶芸祭にいた人達が、最後に事故を知ったんだと

思います。

 

私達はふつうに陶芸祭を楽しんでいて、おそらく午前中は

何も知らなかったかと。

 

正午頃から、急にヘリコプターが陶芸祭の上空を何機も飛び

始めて。

それも「取材かな?」なんて、のん気に考えていました。

 

 

その辺りからの時間の感覚は覚えていないんですが、園内の

アナウンスで、「電車が動かなくなったので、帰りはバスで

〇〇駅まで輸送します」という内容が流れました。

 

何があったのかは全くわからず。

急に陶芸祭中止というアナウンスに、驚いたことを覚えています。

 

 

結局、バスのりばに並ぶ時になって、事故のことを知ったんじゃ

なかったかな。

記憶に残っているのが、公衆電話に行列ができていたこと。

友人は家族に陶芸祭に行くことを話していたので、きっと親が

心配しているから連絡したいと、その列に並んで。

私はボーッと待っていた気がします。

 

 

なかなかバスには乗れなくて、家に帰れたのは夜だったと思います。

そして帰ってからテレビでニュースを見て、事故の甚大さ、死者の

数に驚きました。

 

そして本来、私達が乗っていた電車だと知って鳥肌が立ちました。

すぐに友人とも電話で話して、無事に帰れたことを感謝しました。

 

 

ニュースにも書いてありましたが、当時のことを知っている社員の

方も少なくなっているんですね。

私は自分の経験したことしかこうして書けないけど、忘れないで

おこうと改めて思いました。

 

事故の犠牲になられた方々の、ご冥福をお祈りします。