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の続きです。
前回の記事では、舞妓修行として、芸姑のお姉様方の
付き人をした話を書きました。
もう一つは、イベントの出演です。
あの当時(30年前)、まだ置屋は「一見さんお断り」で。
お座敷で舞妓に会える機会、そんなになかったんですね。
せいぜい祇園の街を歩く舞妓さんを見かけるくらい?
ですが、土日はあちこちで舞妓に会えるイベントが開催
されていました。
私はそういうイベントに出て、参加者と写真を撮ったり、
握手したり。
※今思えば、握手って!ww
高島屋主催のイベントに出たり(確か着物のイベント)、
京都の八坂神社を一緒に歩く、なんてのもありましたね。
土日のたびにイベントがあって、私を含む修行中の舞妓が
駆り出されていた気がします。
※今より、舞妓の人数も多かったかと
とくに外国人の観光客のかたが喜ばれて、たくさん写真を
一緒に撮りました。
私は外人さんにモテました!(笑)
たぶん背も高かったし、目鼻立ちも大きくて、目立ってた
からじゃなかろうかと。
※30年前の写真……どこかで見つからないかなw
あと、舞妓は基本、無給です。
舞妓デビューまでに置屋がお金を出してくれるので、
デビュー後はお礼奉公です。
※芸姑になったら、また別です
ですがイベントに出ると着物の袖に’おひねり’を
入れてくださる方が多くて。
これはいただけることもあって、高校生にしては
お金持ちだったかも?
※今はどうか知りません
結局、舞妓時代でお座敷に出たのは数えるほど。
それも、祖母が三味線を弾くお座敷のみ。
なので、私は完全なるアルバイト舞妓だったと、
今でも思ってます。
とは言っても、舞妓を続けると、その先は芸姑に
なる道が敷かれていて。
長くなったので、この辺は次の記事で。