母のがんは年齢のせいか、進行もゆるやかでしたが、放射線治療と抗がん剤だけでは限度があります。
何より、本人に「治りたい、治したい」という気持ちがありませんでしたから、弱っていく一方でした。
2003年の1月、「桜が見たい」と言って、母は亡くなりました。
最期まで自分の人生を誰かのせいにして、自身では切り拓こうとはせず、文句や恨みつらみだけを言っている人生でした。
母の手をにぎって見送りました。
本当は弟に看取ってほしかったと思います。
「弟に会いたい」と何度も言うので、何回も弟に連絡しましたが、弟は一度も病院には来ませんでした。
弟は、母を捨てていたんですね。
涙はまったく出ませんでした。
仕事(看病)は果たせたというホッとした気持ちと、お通夜やお葬式の段取り、これからの借金返済のことなど、現実的なことばかり考えていたことを覚えています。
嬉しかったのは、ホテルの同僚や学生時代の友達がお葬式にかけつけてくれたこと。
別れたダンナさんも来てくれました。
ホテルの支配人は、大きなお花と電報を。
とてもとても、ありがたかったですね。
☆
私は、母親の呪縛から解放されました。
もう、あの言葉を聞かなくていい、罵倒されなくて済む、そう考えただけで、心がウキウキしてくるようでした。
そして、母が亡くなって、うつの薬を飲まなくなりました。
タバコも吸わなくなりました。
まだまだ現実は厳しかったですが、「これで生まれ変われる」そんな気持ちのほうが大きかった気がします。
つづく。