いつ頃から、母の通院が入院に変わったのかは忘れましたが、入院してから亡くなるまで、私は病院とホテル、自宅を回る生活をしていました。

義母の看病の時代と同じですね。
違ったのは、離婚して1人暮らしだったので、自分の面倒だけを見れば良かったので、その部分だけは楽だったかも。

でも看病を通じて、(看病よりも、母とのやり取りで)私のうつの症状もひどくなっていたので、うつの薬とタバコがかなり増えていたと思います。

自分の姿は客観的には見られないので、想像でしかないですが、きっと躁鬱(そううつ)の症状が出ていたんじゃないのかなぁと。
 

仕事は大好きだったので、ニコニコ笑顔でお客様と接していましたが、一歩ホテルを出れば、どす黒い気持ちが渦巻いて、嫌な顔になっていたと思います。
(その時代の写真は怖くて見られません^^;)

そのころ、唯一、私にとって癒しの時間がありました。
ホテル時代の後輩が赤ちゃんを出産したので、病院帰りや夜勤明けに家に寄って、赤ちゃんのお世話をさせてもらったんです。
おもつを交換したり、ミルクをあげたり、泣いたらあやしたり、そんなことが私にとって、生きる希望になっていました。
 
赤ちゃんの生命力をもらっている感じ?
死んでいく人の看病と、これから生きていく命のお世話をさせてもらうことで、心のバランスを保っている感じでした。

その彼女には、母親の看病時代だけでなく、その後の人生でも助けてもらったので、今でも本当に感謝しています。


つづく。